石巻のボランティア初日
石巻へ
高田の馬場のピースボードの待ち合わせ場所には、21時15分に集合する。
待ち合わせ場所のシチズンプラザは高田馬場駅から歩いて西に10分。
シチズンプラザへ向かう途中、「ピースボート」と書いた看板を持った女性が道に立っていた。
前を歩くバックパックを背負った男性の荷物が少ない事に驚いた。
シチズンプラザ前にはバスが一台止まっており、ピースボートのスタッフが5,6人いた。
みんなボランティアで働いているのだろうか。
名前と班を告げバスに荷物をあずけバスに乗り込んだ。
僕の班は2班で、バスの右前方に固まっていた。
僕は班のメンバーに会うのが初めてなので挨拶をした。
班のメンバーを一人を除いて、みんなイメージ通りのキャラクターだった。
みんなの顔を見て、この班に入れてもらって本当に良かった、と思った。
今回のピースボート、74次のメンバー数は26人。
ゴールデンウィーク中は何百人ものボランティアが参加したというから、
この人数はかなり少ないのだろう。
おかげでバスの隣の席は空いていて寝転がる事ができた。
それにしても狭いバスだ。
名古屋に遊びに行った時に旅の散策バスを利用していたのでこのバスの狭さには驚いた。
旅の散策バスの座席の半分しかないのでは。極端な表現だけど。
バスはサービスエリアと道の駅に、2時間に1回、合計3度休憩のため停車した。
1回目の休憩では、メンバーみんなで集まってご飯を食べた。(僕は食べていない)
サービスエリアでこんなに休憩できると思っていなかったので、
慌てて夜飯を食べて来る必要もなかった。
しかし本当にみんな素敵な人達だ。おじさん達はきさくだ。
自分もおっさんだけど、こんなおっさんになりたいなあなんて思った。
バスではほとんど眠る事ができなかったけれど、
最後うとうとしていたら、目的地である石巻の「カスカファッション」、
もともとはアパレル工場だったところをピースボートが借りている、
ボランティアのための宿泊施設に到着した。
快晴。でも寒い。0度と言っていた。
カスカファッションに到着
到着後、早速「インフォメーション」と言うものが行われた。
ボランティアの活動とはどのようなものか、
またカスカファッションでのルールの説明のようなものだった。
それにしても大変な仕事である。
僕らがここに到着したのは夜が明けてすぐくらいだけれど、
宿を管理する人間はもう起きて準備をしている。
これをずーっと繰り返して来ているのだろう。
インフォメーション後はもう出発の準備。
休憩とかは無い。
各班ボランティア活動に必要な装備をピックアップする。
ヤッケ上下、ゴム手袋、革手袋、マスク、長靴、ビブス、ヘルメット、ゴーグル、長靴の中敷き、これらの装備は全てレンタルをする事ができた。
そして7時15分過ぎ、マイクロバスに乗り込んで本日の作業場へと向かった。
本日の作業は女川原発近くの「寄磯浜」で漁協支援だと言う。
雲ひとつない空で、朝日が差し込む気持ちのいいマイクロバスの車内だった。
車内から見る石巻市の景色は、想像とは違って、とても良いところだと感じた。
天気が良かったからかもしれない。
道の瓦礫は綺麗に片付けられ更地がところどころにあった。
一階部分がぐちゃぐちゃの建物がいくつかあったけれど、
それでもここが震災前と震災後、どのような姿だっただろうか、
とうまく想像することができなかった。
海も山もあって素敵なところだなあ、と言うのが感想だった。
また寄磯浜に向かう山道もすごく良いところだった。
紅葉で山の色が豊かで、時折見える小さな漁港や海がとてもきれいだった。
登山日和だな、普通にここに遊びに来たいなと思った。
寄磯浜は小さな港だった。もちろんここがもともとどのような状態だったか、
というのは僕には想像ができない。
寄磯浜の津波の高さは何メートルだったか、ってことを忘れてしまったけど、
見上げた山の上の木に、ブイや網が引っかかっていたので、
何となく波の高さは想像することができた。
山に囲まれた小さな漁村。海も静かで、良いところだな、
と相変わらず思う事しかできなかった。
漁業支援はホタテの養殖
漁業支援はホタテの養殖だった。
詳しい事はわからないが、「垂下方」という方法でホタテを養殖するのだと思う。
長いロープからいくつも飛び出た小さな「カギ」のような紐に、
ホタテに開けた穴を通しそれを海に沈める、という方法だ。
作業場に指定されたテント内には2つの作業場があった。
1つはホタテの穴あけ、もう1つはロープにホタテを取り付ける。
穴あけの作業場は8畳くらいだろうか。
ひざ上くらいの高さの机にはホタテが山盛りにされており、
その机を囲んで10人ほどのおじちゃんおばちゃんが座ってホタテに穴を開けている。
ホタテに穴を開けるには電動のキリの様な道具を使っている。
3秒ほど穴の開け方のレクチャーを受け、僕は穴あけ係となった。
とにかくえらい活気である、というか、みんなダッシュだ。
僕はわけも分からずまま開いている席に座り、見よう見まねでホタテに穴を開けた。
ちなみに穴を開ける場所はホタテの耳のようなところ。
1箇所だけホタテの貝殻が重なっていない場所があるのでそこに穴を開けるのだ。
とにかく腰が痛い。
釣り人の様にカラのコンテナに座って作業をするのだけれども、
腰が痛くて仕方がなかった。
みんなはもくもくとすごいスピードでホタテに穴を開けている。
隣の作業場では、同じ班の仲間がホタテを一生懸命ロープにとりつけている。
僕も一心不乱にホタテに穴を開け続けた。
地味だし寒いし腰は痛いし、時給1600円もらえればやっても良い仕事だ、
なんてしょうも無いことを考えながら仕事をした。
穴あけスピードも時間が経つにつれ周りと大差がなくなってきた。
そして作業全体は昼前に終わった。差し入れに菓子パンとコーヒーがでた。
昼飯はお弁当だった。白いご飯とおかずが4,5品。
想像以上に美味しくて驚いた。
昨夜はほとんど寝ていないので食べれるかどうか、と思っていたけど、
おかわりしたいくらいムシャムシャと食べた。
働いた後に外で食べる飯はうまい。
ちなみにお弁当もボランティアの人間が作っているようだ。
女川
この日は午前中でボランティアとして作業は終了し、
午後は女川へ視察に行くことになった。
女川はなんにも無いところだった。
巨大な採石場のようななんにも無い所にアスファルトの道路が1本走っており、
そこに鉄筋のビルがぽつんぽつんと立っているだけだった。
高台や港から離れた場所に家はいくつも残っていた。
ここでも瓦礫はきれいに片付けられ、本当に何もなかった。
壊滅とか、悲惨とか、そんな言葉は浮かばない。
女川がどんなところだったか写真を見れば良くわかるけれど、
それでも僕は、色んな事がイメージできなかった。
悲しくなるような事もなかった。
ただきれいな山と空と海があった。天気の気持ちの良い日だった。
女川の港で10分間の自由行動のあと、マイクロバスで女川を視察した。
でもこれは気分が悪かった。少し腹が立った。
車内ではピースボートのリーダー的な人が、
ここでは、これこれこう言う理由で何名が亡くなりました、
ここはテレビでも有名になった現場です、ということを教えてくれる。
まるで自分がガイドツアーの客になったようで気分が悪くなった。
修学旅行でひめゆりの塔を観光するみたいじゃないか。観光客じゃないんだ。
女川でどんな悲惨な事があったか。それを知ってほしいと思っているんだろうけど、
そんな事はここに来ているみんながわかっていると思う。
イメージできないほどの悲惨な出来事が起こったこともわかってる。
だからそんなガイドはやめてくれ。言葉が軽すぎる。
献花も黙祷もパッケージみたいに感じてしまう。
ボランティアの理由は「日本人だから」
カスカファッションに戻ると「お手伝い」の時間だ。
トイレやシャワーの掃除、備品の整理もボランティアの仕事だ。
僕らの2班は備品を整理する担当になった。
干してある長靴やヤッケをしまったり、そういった内容の仕事だ。
それが終わるともうやる事はお終い。
シャワーに入ったりコンビニに買い出しに行ったり。
夜ご飯はあんかけ風のご飯でこれも美味しかった。
量も多くおなかいっぱい食べる事ができた。
食後、7時過ぎくらいだろうか、なんとか会と言う、
全員で話し会う会が行われた。
「ボランティアに参加した理由」というのがその会のお題になった。
でも正直、ボランティアに参加する理由なんて、
話し会って何になるのだろう、当たり前の事じゃないか、と思っていた。
そもそも「ボランティア」という言葉が僕にはまだ慣れない。
同じ班のメンバーが「日本人だから」と言っていた。
確かに考えてみると「日本人だから」というのが一番自分の答えにあっている。
「日本人だから」。その通りだと思う。
その後は参加自由の上映会で、
今日行った女川の震災時の映像や、それをまとめたDVDを見た。
悲しすぎてあまり見たくなかった。
そんなこんなで一日は終わった。
なんだかなあ、と言うのが初日の感想だった。
働いた時間はたった3時間ほどだろうか。
3日しかないんだからもっと働かせてくれよと思った。
消灯は夜10時。
あっという間に寝て、あっという間に次の朝が来た。