初心者のための登山とキャンプ入門

50歳・ヘビースモーカーの母親を連れ富士山に登る

富士山の山頂でカップラーメンを食べる

80歳で三浦雄一郎がエベレストに登った今となっては50歳の富士山は珍しくもなんともないかもしれない。でも意外と自分の母親に照らし合わせて考えてみると「えーうちのお母さんが富士山?」って思いますよね。

当時、うちのお母さんはかなりのヘビースモーカーで運動も何もしない人。「六合目まで行ってご来光見ようよ」そんなノリで出掛けました。

突然の富士登山の提案

富士登山にテンガロンハット

八月の終わり、たぶん最終の週末。いだしっぺはおそらく長女で、家族で急に富士山に行くことになった。決まったのは前日か当日。プランも、いわゆる「弾丸登山」だ。今となってはこんなところで公表してはいけないかもしれない。

私は登山を初めて9年。二十代前半で体力も気力も満ちていた。ミレーのザックにたくさんの水とカップめんとガスコンロや母の荷物一式を詰め込んだ。
富士山をなめてかかっていたことは、写真の「カウボーイハット」を見ても分かる。革製の重いもので、父がアメリカ土産で買ってきたけど、真面目にかぶったのは後にも先にもこの時一回っきり。普段は、重くてたためなくて濡れたらいけない帽子なんて山には持っていかないものだ。

そしてさらに、頂上まで登ろうとするのはこの時が初めてだった。高校の山岳部とか大学のサークルではわざわざ富士山に行くことは少なかった時代だ。冬に五合目で雪上訓練とかはするんだけど、冬の富士登山はさすがに厳しい。

2000年というと、中高年の登山ブームも、アウトドアブームも、山ガールブームもまだ来ていないころで、だからもちろん今みたいな富士山ブームも全くなかった。「富士山は登山としての魅力はあんまりない」。登山する人にとってはそんな認識だったようにおもう。

拉致られたお母さん

だいたいいつも、うちのお母さんは拉致されるように連れて行かれる。 まず反対する。根が出不精なんだ、きっと。でも本人もまったく行く気が無いわけではない。楽しいイベントに参加するのは好きなんだ。だからしぶしぶ荷物だけは詰め込む。といってもこの時もたぶん、自分の意思で履いたのは運動靴と大事なカシミヤのカーティガンくらいで、あとは適当に私たちが用意した。

ジャージに、軍手に、ヘッドランプにカッパ。子供が四人いるのでそういったものはすぐ揃う。釣りを趣味とする父からヘッドランプやカッパやらを調達して、他の兄弟は原付に乗る時に着てるカッパなんかをそれぞれ持って行っただろう。

お母さんは出発の時まで今すぐどこかに逃げだすんじゃないか、という雰囲気を醸し出す。いつもそうだ。でもなんとなく用意してたりするので刺激せずにそっとしておく。初の海外旅行もエジプトだった。「飛行機が落ちたらどうする」そんなことを出発直前まで言っていた。
「まあ良いじゃん、五合目行って星を見ようよ。で、六合目あたりで御来光見てさ。登れそうだったら私たち行ってくるから、どっかで待ってればいいじゃん、まぁとりあえず行こうよ、せっかくだし」こんな感じで半ば拉致られるように車に乗せられ出発した。

初めての夜歩き

夜 吉田口の五合目にて

出発したのは深夜頃だったろう。登山口は吉田口。今見ると弟が首から懐中電灯を下げている。ひどいものだ。まあ二十歳の若者はなんとでもなるだろう。お母さんもリポビタンDを飲んでポーズを取っている。一応、やる気であるらしい。

「適当に行こうよ」「まあいいじゃん、行けるとこまでで」。こんな感じでだましだまし歩く。私もお母さんがどれだけ歩けるのか知らない。だってかなりのヘビースモーカーだし、いつものように「疲れた~」「あんたを産むときお腹の腫瘍を取ったからいまだに疲れやすい体質なの」「産後ムリしたから疲れやすい」そんなことを言っていた。
63歳になった今となってはさすがに「産後」の話は出ない。それ以外の老化がばんばん来てるから産後はどうでもよくなったんだろう。

とにかく、体力のない人は特にゆっくりゆっくり歩くこと、これに尽きる。何時間かかったっていいんだ、本当に。息を切らして歩かなくてはいけない理由はほとんどない。足と足のあいだは10センチも開かないくらいに置く。ただただこれをひたすら繰り返す。

富士山 星を見ながらタバコを吸う

明日の天気もよさそうだ。私はお母さんの後ろを歩いて、弟と長女は適当に自分のペースで歩く。暗闇に消えて行ってどこにいるかは分からない。そうやって暗い中、ノロノロと歩いて八合目あたりに到着。

うっすらと明るくなってきた。ここで大休止をしてご来光を見ることになった。お母さんはすでに完全に無口。えらい後悔をしているにちがいない。

日が明けて

富士山でご来光

ご来光待ちは寒い。ここで役だったのはロールマット。この時に持っていったのはリッジレスト。富士山の登山道は岩場みたいに狭くないしすれ違いもそんなに気にすることないから、ロールマットを持っている人はみんなリュックに付けて行ったら良いと思う。軽いし、寝ころがれる。
小屋での休憩は有料だし、イスはもし空いていてもそこは風が強い場所かもしれない。普通はみんなザックの上に腰かけるんだけど、富士山の荷物って少ないから、リュックに座ると潰してはいけないものまでつぶしかねない。それに下がゴツゴツだから直に座るとカッパとかが破れそうで気になるんだ。そんなわけでロールマットは休憩のたびにサッと出して大活躍。

登山マット リッジレスト
THERMAREST / クローズドセルマットレス リッジレスト

ご来光を見てすっかり日が明けて周囲も見えてくると「あれ~朝が来たのにまだここかあ」そんなふうに思った。
お母さんに温かい飲み物をあげて、再び歩き出す。雲海もきれいで、こんなめちゃくちゃな計画でも天気が良いから全てがすばらしい。お母さんにはもう、行くとか行かないとか考える余裕はないみたいだ。

またのんびり歩きだして昼前に頂上に着いた。6時間はかかった。「人生で一回くらい富士山に登っておきたいじゃん」「たぶんこれが最後のチャンスだよ」。頂上手前に来ると、もうそれしか足を出す理由は無い。普段運動しない50歳の富士山は大変だろうね。そんな人を連れて徹夜登山って…ねえ。なんだかんだいってお母さんはいつもついてくるけど、用心したがる理由もわかるね。

富士山の山頂集合写真

でもやっぱり歩けば着く。お母さんも初登頂。富士山はやっぱり頂上がいい。なんと言っても、宇宙を思わせる大迫力の火口。どのルートを取っても最後の登りが急だから、あの景色をみると「やったぞー」っていう気分になれる。お母さんがその時何かを考える余裕があったかどうか知らないけど、後で新幹線の窓から富士山を眺めるときに思いだすんだろうね。

富士山の山頂でカップラーメン

頂上では持ってきたお湯を沸かしてカップヌードルを食べた。ゴツい景色と青空にあまりにカップヌードルが映えるのでCMに使ってほしいくらいだ。

ながい下山と馬

富士山 吉田口ブルドーザー道でで下山

下山は本当に長かった。ここまできたらもう旅みたいな感じだ。まあいい、何時についても良いんだから。

途中お母さんは気持ちが悪いと言ってちょっとうずくまっていた時があったけど、まあ大丈夫だという。26歳の長女と20歳の弟は好き好きに砂煙を巻き上げて下る。もちろんスパッツなんて履いていない。広い道で見はらしがいいからどこにいても見つけられる。ほんと、これも天気が良かったからだ。

登りは休みすぎると疲れるしいつまでたってもつかないからなるべく休憩は短く取るけど、下りはそんなに気を使わなくていい。ブルドーザーでならした道にいろんな意見はあるけど、多くの人が下山で怪我をする事を考えると、この道はありがたいと言わざるを得ない。

富士山の吉田口を走って下山

はー、やったね~もうすぐ六合目だーと思ったころ、おじさんが声を掛けてきた。小柄で、陽に焼けて、ジーンズ生地の服を着たおじさん。馬に乗らないかという。いくらですかと聞くと1人1万円以上の値段だった。
高い!べつに全然乗りたくなかったし、興味も無いし。

断るとおじさんが食い下がってきたので「2人で3000円」といってみると「いいよ」という。えーっと思いながら馬にのる。白馬でけっこう大きい。お母さんは前に乗り、私が後ろに乗った。

鞍には硬い突起のような持ち手があって、おじさんはそこにヒョイとザックのショルダーベルトをひっかけた。お母さんは55kg、私は45kg。ザックはきっと10kgはあった。コンロやみんなの予備水とお母さんのザックも入っていた。そんなザックが片方にぶら下がった状態で、馬は上手に下った。

夜中に歩いたからどんな道を歩くのか、傾斜はあったのか全然覚えていなかったけど、私は傾斜が出てきたら一度馬を降りるんだとばかり思っていた。でもおじさんは少しも歩みを止めることなく、スタスタと歩いた。
馬の蹄が岩に乗っかるたびにコトコトと音がして馬は体全体でバランスを取りながら歩いていることが筋肉から伝わってきた。楽しいというより馬が転ばないか気になって気になって時間が長く感じられた。

ただただ、ノロノロと歩いていたお母さんがさっそうと馬に乗ってやってきて、先を歩く長女や弟に追いついたらビックリするだろうなあと想像して、それが楽しくて仕方なかった。駐車場にはすでに長女と弟は到着して休んでいてすごく驚いていた。

そんな感じで最後は馬に助けられてお母さんの富士山初登頂は成し遂げられた。富士山を登ったことについては「えらい目に合った」としか言わないけど、馬に乗ったことについては「たのしかった」とその後良く言っている。たぶん大好きな時代劇で山道を走る馬を見るたびに思いだしているに違いない。