登山の楽しみと魅力とは
登山をまったくしたことがない人、小学校の行事で登ったけど良いイメージがない人、「つらい・大変・きつい」というイメージしか無い…そんな人も多いかもしれません。
それでも登山が好きな人はたくさんいて、一度ハマってしまえばなかなか抜けられないものです。登山の魅力や楽しみは何でしょうか?
ここでは主観的になりますが、登山の楽しみや魅力について書いてみたいと思います。
登山の楽しみは旅と同じく十人十色
登山をあまりしたことがない人の登山のイメージはどんなでしょう?
重い荷物を背負って汗をかき、息を切らしながら坂道を登るシーンでしょうか。
「あの行為のどこが楽しいんだろう」「山頂でのビールはおいしいとか、山の空気はちがう、とか聞くけれど。でも、そこまで苦労したくない。」
ピッケルを持って真っ白な岸壁を登る姿や、ニュースで聞く遭難の話でしょうか。
「あんな危険な事をする意味がわからない」、「自分とは世界が違う」。
でも、そんなふうにシャッターを降ろさないでください。登山の楽しみは人それぞれ、と言ってしまえばそれまでなんですが、本当に十人十色。
例えるなら、旅行にもいろんな種類があるのと同じように、です。
海外旅行でたとえるなら、用意されたツアーに参加して代表的な観光地や歴史的建造物の眺めを楽しむのも旅の一つ。効率よく回ることができます。
登山でも、ツアーに参加して効率よく百名山を制覇していく事を目標にしたり、そこでの友達づくりを楽しむ人も居ます。
観光地をパッと眺めて、用意されたものを食べるだけじゃ物足りない、現地の人の声や現地の人の買うスーパーに行き、路線バスに乗り、現地の言葉を覚えてお友達を作る、そういう旅を好む人もいます。
登山で言うなら、山の地形や地質、植物や歴史などを良く知って、味わいながら歩くことを楽しんだり。ローカルな電車やバスを使って珍しい地名や雰囲気のありすぎる無人駅に降り立ち、無人売店で野菜を買い、手打ちそばを食べる。
手軽な海外のリゾートビーチならどこでもいい、とにかく遠くへ行ってリフレッシュしたい、という旅もあります。
登山でも、とにかく体を動かしたい、日常から離れた大自然の中を何も考えずに歩いて疲れた心をリセットしたい、「無」になりたい、そんな理由で登山に行く人もいます。
人生観が変わってしまうくらいの衝撃を受けるかも?
古くは猿岩石がやったアジア大陸横断の貧乏旅行のように、不便な環境にも耐えられる自分になって一つ大きなことをやり遂げたい、という旅もあります。
学生の夏合宿なんかはそれに近いんじゃないかと思います。贅沢品は一切廃して10日分の食糧とテントと寝袋を担いで、日本アルプスを縦走する。人生観が変わってしまうくらいの衝撃を受けるでしょう。
最近ハヤリなのは、仲良しグループでの1泊旅行というノリの登山。テントの代わりに山小屋を予約しておけば荷物も少なく、初心者でもワイワイとおしゃべりしながら楽しく旅行気分で行けます。
高校生同士での初めての小旅行のイメージは、小さめの里山へ自分たちだけで計画して行く登山。自分で路線バスを調べ、自分たちだけで地図を読んで相談しながら歩いたら、一生忘れないくらい印象に残ります。
一方で、自分の体力や技術の限界を試したり、新たな記録更新を目指して死ぬか生きるかのギリギリに挑む、そういう旅や登山もあるでしょう。
挙げたらキリがありませんが、旅行にも優雅なクルーズからかつてのウルルン滞在記のような濃厚なものがあるように、登山も同じなのです。なので、「こういうのが登山だ」という先入観なしに、山に遊びに行って欲しいと思います。
登山の魅力 -図らずも ”オプション” がついてくる-
登山に出かけると、思わず「ラッキー!」と言ってしまう瞬間がたくさんあります。みんながそのためにわざわざ出かけて行くのに、登山のついでに楽しめてしまったオプション。たとえばこんなことです。
満点の星空や流星
満点の星空を見るために”星が日本一きれいに見える町”へ旅行に行く人もいると思います。
でも登山をしていると、ふつうに流れ星に出くわすことがあります。「あ、今の流れ星じゃなかった?」「そういえば今日なんとか流星群が見える日ってテレビでやってた!」なんてことになったら、晩御飯のあと地面にマットを敷いて、寝袋に入って寝転ぶ。ピュンピュンと見える流れ星。
わざわざ調べてきたわけではないのになんてラッキーなんだ。
流星群の日に当たらなくても、稜線上の見晴らしの良いテント場に泊まれば「星がありすぎて、もはや星座とかわからない」というくらいの星空に出くわすことはたくさんあります。
巨木や銘木、隠された森
「樹齢何百年」という銘木を見に出かける人もいると思いますが、そんな木にも、ふと出くわしたりします。「○○の木」なんてプレートも立入禁止の柵もないけど、ふつうにその森でずっと生きている木。もし町にあったら“重要○○”なんて称号がもらえるだろうな~と思うような雰囲気のある樹。
また観光名所になっても良いくらいの巨岩。それから、原生林の森やもののけ姫がいそうな森。
ガイドブックにも書いていなかったけれど、歩いてみたら、「ああこの場所にもう少しいたい」と思うような、なんとも心惹かれる場所に出会うことがあります。
野生動物
野生動物は見たいと思ってもタイミングよく見られないので、それを目的に登山する人は写真家や研究者くらいのものだと思います。それでもふと、出会うことがあります。
登山道の上で道を譲らないカモシカ。岸壁から石を投げつけてくるサル。足元をすり抜けるオコジョやリス。白いガス(霧)の中に、ふといた雷鳥。
特に哺乳類が野生のまま生きているところなんて、町や動物園では見られません。こういう貴重な体験は予期せずおこります。
お花見や紅葉狩り
天然のお花見や紅葉狩りが、期せずしてできてしまうことも多いです。
紅葉のシーズンにはどこの観光地も混雑するので、渋滞や待ち時間を考えて旅行の計画を立てないといけません。
でも、山登りに行ったらたまたま紅葉の真っ最中、斜面はカラマツ林で黄金色だった、ナナカマドで真っ赤だった、足元は色とりどりの紅葉や楓のじゅうたんだった、ということがよくあります。
山の中なら他の観光客もいないし、貸切状態でカラフルな世界を堪能できることもよくあります。
温泉、とくに秘湯
温泉に入るために旅行する人も多いですが、わざわざ行かなくても登山の後に近くの温泉で汗を流す人は多いです。
ただ近いから寄ってみたら、ひなびた雰囲気が渋い秘湯で、「〇〇県から2時間かけて来る人もいるらしい」、なんていうことがよくあります。
「こんな山奥、登山のついででもないとわざわざ来なかっただろうな」と思うことがよくあります。
こんなふうに、狙ってないのにいろんなオマケが付いてくる。新しい山に行くことで、知らなかった山里にも足を踏み入れることになって新しい出会いがあった。そういう機会を与えてくれるのも登山のメリットの一つです。
こうみてみると、実に多くの人が自然やその恵みに触れたくて観光し、旅行していますよね。その切り取ったひと時、いち場面を楽しむために遠くからわざわざ出掛けてくる訳です。それも良いのですが、登山はその核心部に直行するイメージです。
すでに登山をしている人からすれば当たり前のことなのですが、こんなすてきなオマケ付いてくるなんて考えなかったのではないでしょうか。
生活のための、知恵・工夫・知識を学べる
テント泊の登山をイメージして書きますが…登山では、自分で荷物を担ぎ、自分の足で移動します。
車などの乗り物を使うのが当たり前の今、この「歩く」という究極に原始的な行動が自然にできるのが登山です。
自分たちの食事も自分たちで作ります。単純にみんなで料理して小さな火を囲みながら料理を作るという行程は楽しいです。
もちろん、疲れ果ててバーナーの火の音だけが聞こえる無言の食事作りや、雨続きで雰囲気が悪かったらどんよりした食事もあります。
しかし、良くも悪くもここまで距離感の近い人間の世界もまた登山ならではです。
小さな鍋、小さなナイフ、小さなまな板…少ない調理道具と調味料を駆使してなるべくおいしくなるように工夫して作るたのしさ。普通の味くらいに仕上がれば、それは大成功。普段なら当たり前であったことがよろこびになります。
創意工夫の宝庫
こうして少ない器具を駆使して料理したり、壊れたものを手持ちのもので補修したり、狭いスペースを工夫して快適に過ごそうとするとき、人はいろんな工夫をします。ありったけの知恵を働かせて美味しさや快適さを生み出そうとします。
そして自分がひらめいて工夫すたことが成功すると、とても嬉しく感じます。
便利なものにありふれた生活の中で、あえて不自由の中に身を置き、知恵を働かせて解決するという過程が経験できるのは登山ならではじゃないでしょうか。
サバイバル経験からくる充実感は、なにも危険の中に身を置かなくても体験できるのです。
日常でも災害時でも役立つ知識
また登山の中では様々な知識が身につきます。変わりやすい天気に対応する能力、とっさのケガに対処する能力、ロープワークなどの知識。経験者に教えてもらったり本で読んだりして身につけることで、自分の登山を快適で安全なものに近づけてくれます。
様々なシーンに対応する知恵や知識は、特に災害時の避難所生活など、意図しない不自由を強いられたときにも役立ちます。
自然災害の多い日本では、テント生活は有効な訓練でもあるかもしれません。エアコンやベッドという快適に管理された空間で過ごすことの多い人にとって、天気に翻弄されながら、地面の硬さに背中の方を適応させて眠る経験は、自分の快適さに対する許容範囲を広げてくれるようにも思います。
災害時と言わずとも、これらの経験が日常生活で役立つことは間違いありません。
特に登山では背負って歩く荷物をなるべく少なくしたいことから、装備やウェアは、軽く、コンパクトに、頑丈に、機能的に工夫し尽くされています。ウェアも、何枚も着替えを持っていけないので、すごく使える限られた数枚を脱ぎ着したり乾かしたりして使います。こういった優れた限られた装備を工夫して使う技術が身に付くのは言うまでもありません。同時に、モノが溢れた中で暮らすことに慣れた私達にいろんなムダを気づかせてくれるし、登山中の究極のミニマリスト生活は「これだけのモノで暮らせるんだ?」という感動さえ与えてくれます。
テーマをもって楽しめる
山の懐は広いので、いろんなニーズの人を満足させてくれます。「山頂からの眺め」や「おいしいビール」だけが登山の醍醐味ではありません。
高山植物から深まる世界
たとえば高山植物を見るのが好きな人も多いです。調べないで歩いていたら「あ、あった!」と見つけるだけでもうれしいものですが、ある短い季節に限られた環境でしか咲かない高山植物もあります。その花に会いに行くのもひとつの楽しみ方です。
野生の高山植物は、人間が栄養や温度を管理して咲かせるのではなく、とてつもなく厳しい自然環境で生き残れたものたちです。栄養や日光、その全部を自分で得てあんなにキレイな花を咲かせるわけで、その生存競争における工夫は、知れば知るほど興味深いものです。
また高山植物は、地質や地形や風、それを食べる動物といった環境と密接な関係があってそこに咲くことができます。お花から始まって、地形、気象、動物、大地の歴史といった知識の宝庫への入り口にもなってくれます。
被写体の宝庫
山はまた、写真を撮ることが好きな人にとっても楽しいフィールドです。専門的な写真家は世界中の大自然を知っているかもしれませんが、そうでない人たちにも素晴らしい被写体を用意してくれ、「ああこの瞬間をカメラに収めたい」と思わせてくれます。
なんとなく行った登山で自然の美しさを写す楽しさに目覚め、どんどん大きなカメラを買い直して山に登るようになった人は多いのではないでしょうか。
植物、動物、天気、人間、景色。何一つ、変わらないもの、留まる物がないことは頭では知っていても、それを実際に目の前で繰り広げてくれるのが山です。最高の被写体を「どうぞ!どうぞ!」と言わんばかりに提供してくれます。
限られたテーマパークではない
絵を書くのが好きな人、人との新たな出会いが好きな人、人間臭い人間関係が好きな人、孤独が好きな人、日本100名山制覇などを記録を更新することが好きな人。 誰も登ったことのない岩壁を登りたい人、都会での疲れをリフレッシュしたい人、ちょっとした冒険をしたいと思っている人…いろんなニーズの人を受け入れてくれるのが登山です。
テーマパークのように限られた”遊び場”がだれかによって用意されていなくても、無限の遊び方ができるのです。それぞれがいろんな好みを追求できるフィールドがあり、それに出会えるのが登山の良いところだなと思います。
老若男女、そして健康
一生涯の楽しみになりうる
山はどんな年齢の人でも、それぞれに楽しみや価値を与えてくれます。これから成長しようとする学生にはさまざまな学びを与えてくれ、仕事で疲れた若者には自分の生活や人生を見直すような啓発を与えてくれ、お年寄りにはもっと健康で長生きしなさいと励ましをくれるような気がします。
誰もが、今の自分が歩けるコースを選んで、それぞれのペースで楽しむことができます。仕事が忙しくて一度は登山から離れても、気が向いたときにまた始めることができます。
一度始めたからといって毎月のように登山しないといけないわけでもないし、思い立ったときに行くことができます。
一度知ってしまえば、気軽に一生涯の楽しみとしていけるのが登山の良いところです。
健康のための目標となりうる
そのためには健康でなければならない、と思わせてくれることも重要です。
体がなまれば「もう少し普段から運動をしなければ」と気づかせてくれます。「もう一度あの山に登りたい」と思えば体力づくりの張り合いにもなるし、それは「病気にならないため」というネガティブな発想よりも前向きで希望にあふれた目標になりえます。
当然、登山をすること自体が運動となり健康維持のために大いに役立ちます。その時、ルールに縛られたり競争をすることもないので、他人に合わせず自分の体と相談してムリなく楽しむことができます。
何歳からでも始められ、一度装備を揃えてしまえばかなり長く使うことができるのも登山の良いところです。
手軽な旅行
五感で感じるからこそ
旅行に、日常生活からの脱出や刺激ある何かを求めていく人もいると思いますが、そんな気分の時にも、実は登山がぴったりです。
週末の二日間をダランと過ごして終わる代わりに登山をしてみると、その2日間のなんと濃厚のなことか。「一日ってこんなに長かったっけ」と感じると思います。
何もせずに過ごした週末のことはそのうち思い出せなくなると思いますが、登山した週末のことは何年経っても覚えているものです。
それがなぜか、足で歩かずに車で山頂に行くだけだと全然残る感覚が違うから不思議です。やはり、足を動かして、いろんなものを見ながら、暑さや風や匂いなどを感じるという、五感をフルに刺激しながら時間を過ごすという登山が記憶に与える影響は、なにか特別のものがあるのではないでしょうか。
3日間あればじゅうぶんな別世界へ
たった3日間の休みでは、海外旅行に行っても実際に現地を感じる時間は短いです。でも、登山で3日間もあれば、どっぷりと日常とは別世界に浸ることができます。もちろん期間が長くなればより奥深い山の中に入って過ごすことができますが、それでも、「海外旅行に行くよりも知らない世界が待っていた」という経験をすることさえできます。
そんな意味で、日常からの手軽なトリップとなることも登山の良いところだと思います。
私の登山の楽しみは
私は坂道や階段が大きらいです。なので、坂道をハアハア言いながら登っている瞬間は全然楽しくありません。でも、「総合的に楽しい」それが登山なんですよね。ではどんな”瞬間”が楽しいのか、書いてみます。
倒されそうな風に吹かれて白いガスの中を歩いているとき
高山では、白いガス(雲)の中に自分が入ってしまって、足元しか見えないことがたまにあります。真横から風も吹いて、倒されないように必死に前の人の足元を見て、ついて歩いたり。ガスの中のこまかな水滴が髪について、雨でもないのにポトポトとしずくが垂れてくる。 そしてガスのふとした切れ間から、大きな岩峰がいきなり目の前に現れたと思えば、また真っ白な世界に包まれる。
スキーをする人は同じような経験があるかもしれませんね。登山では、夏でもこのような状態になります。
実際に歩いている最中はけっこう必死なのですが、こういう、街では絶対に味わえないくらいの人間をちょっと不安にさせるくらいの自然の変化や脅威。「あぁ、山に行きたいな」と思うとき、思い出すのはこういうシーンです。
人と素で付き合える
久しぶりの友人と都心にお買い物に行く、となるとどんな服を着ていけばいいものやら悩んだりしませんか。悩みすぎて本来楽しみだった再会なのに、めんどくさくなったりとか。
アウトドアファッションも最近では選択肢がありすぎるかもしれませんが、でも、登山においては自分に合ったものがベストです。大事に愛着持って使い込んだ装備こそ輝いているし、たとえカッコイイアウターを自慢気に着ていたって、山では気にも留められない。ノーブランドだってなんだって、自分の登山スタイルを持って自分らしくやっている人が、かっこいいんですよね。
なのでまず、外見を意識する必要はないというのがラクです。そして歩くときは結局、自分の2本の足。お金持ちだって偉くったって、それは同じ条件。そしてしゃべりたいときはしゃべり、無言で歩きたいときは、ただ歩く。そこに沈黙を気遣う必要はありません。
そういう素朴な環境の中で歩いたり、テントを張ったりご飯を作ったりしているとそのまま現れてくる人間性にいつも思うのは、ドラえもんで言うところの「ぼーくたち~地球人~」とか、童謡で例えるなら「おヒゲを生やしたおじさんも、昔は子供~」というフレーズ、そういった感覚です。
そしてそれはたぶん、自然の中に身を置く、というそういうことが人を素直にさせているのだとも思います。登山での飾りの必要ない人間の世界が好きで山に足を運ぶ人はたくさんいるんじゃないかと思います。
無音の暗闇に居るとき
近い山でも、山で一泊すれば途端に静寂と孤独の世界に身を置くことができます。
奥多摩のとある避難小屋に泊まった時のことです。外のトイレに出ると、そこにはまったく何の音もない暗闇が広がっていました。その暗闇は人を神妙にさせ、否応なく人間のはかなさとか人生には終わりがあることなどを次々と思い起こさせるものでした。
もしかして宇宙のまっただ中にぽつんと放置されたら、こんな感じかもしれない、そんなふうに思ったりもしました。でも人は、地面に足をついて流行りの服を着て人気の店の食事を食べて・・・そんなことを繰り返すうちにそれが世界の全てのように感じますよね。
でも暗闇でふと目を閉じて見ると、それらは果たしてどれだけの意味があるんだろうと考えたりします。もしかして、初日の出を見たときに同じよなことを感じた、という人も居るかもしれませんね。 そういう、リセットさせられる時間。それが登山では身近にあるんですよね。
下山後の食べ物、寝床
「山で食べるものは何でもおいしい」っていう健康的な人ならいいんですが、私は下山後の食事が一番楽しみです。そしてその楽しみは、登山の日数に比例して増していきます。
登山中は入手しにくい牛乳、冷えたコーラ、直火で焼いた焼き鳥、生クリームたっぷりのショートケーキ。これは、ダイエットをしている人とかスポーツで減量している人なんかと同じかもしれませんね。
でも、布団のありがたさ、はどうでしょうか。硬くて冷たい地面の上に薄いマットを敷いて湿ったシュラフの中でムリヤリ眠ろうとするとき。テントのフライシートは飛ばされないだろうか、雨はテントの中に入ってこないだろうかと心配しつつも明日の長い登山のために眠ろうと努力するとき。こんな時は普段の温かい布団がどんなにありがたいかを思い知りもするし、下山後に家の布団で眠るときは背中の下が硬くないことだけで幸せな気分になれます。
「じゃあ行かなければいいのに」と思うでしょうが、不思議なことに少し経つとこういう世界が恋しくなる。これも登山の魅力だと思います。
不便さの真っ最中にいる自分
いつかの夏の6日間の縦走では、毎日が雨でした。カッパを着ていてもヒジを曲げればカッパの内側に水が溜まり、着替えたって意味がない。寝ている時以外はずっとカッパを着て、ずっと濡れっぱなしの毎日です。なんとか寝袋だけは濡れないように死守し、眠るときは防寒着のセーターを肌に直に着て、その上から湿ったTシャツを着て体温で乾かすという手法。みんなが同じくそういう状況で、もう笑うしかないというくらいの不快さ。
想像するだけでイヤな感じですが、こういうのもまた記憶に濃く残る、愛おしい瞬間なんですよね。そしてその不便さの中で見せる、メンバーの意外な底力だったり工夫や発見。限られた持ち物を駆使したり知恵を発揮してちょっと快適な環境になったり、食事が少しおいしくなったり。何を語るよりもその人の人柄が現れて、おもしろい。
もちろんそんな不便さをあえて求めて山に行くわけではないのですが、登山では良くも悪くもそういったややサバイバル的な側面に出くわしたりします。それも登山を面白くしている一つだと思うのです。