朝日連峰縦走日記 ⑥
以東岳、お花畑経由オツボ峰、大鳥池経由ブナの森へ
13日の朝ごはんはパンだった。本当はナンのようなものを焼きたかった。スーパーでたまたまホットケーキミックスを見つけたからクレープみたいなものを焼いてポタージュといっしょに食べようと思った。ホットケーキミックスの袋に水とチューブバターを入れて箸でよく混ぜた。足りないと思ったから沢子のレーションのオールレーズンを提供してもらい、1人4枚ずつ朝ごはんにもらった。フライパンにバターを引いて焼いたらぽろぽろになってしまった。それを4つに分けて食べた。2枚目はバターを敷かないでやった。沢子が四角の角も順番に焼くようにしたら上手に焼けた。甘くってもちもちしてのどを通りづらかった。沢子がそれをまな板の上で上手に4つに切った。うまく焼けていると2人からも賛辞があった。3枚目も上手に焼けたがもうお腹いっぱいな感じだった。なんか山の朝ごはんで食欲が湧く最適なパンを見つけたいと思った。
隣のおじさんが、これから大朝日岳の方に向かうが次の水場はどこかと聞いてきた。水場を知らないで歩いているのかとすごく不思議に思った。おじさんは1L しかもっていなかった。早朝だから足りると思ったけどおじさんは「だったら雪渓に汲みに行くしかないか」という。こんな薄暗い寝起きのときから「急斜面」と書いてあるところを下っていくのは危ないと思い500mlに満タンのを1本もって「そしたらこれを・・・」とつい言っていた。こまかいペットボトルに水が分散されすぎていたし寝起きだったから、実は自分たちの分が足りるのか足りないのか良く分かんなかったけど北尾君が昨日満タンに汲んでくれたはずだからと思って楽観していた。クリケンと北尾くんは自分たちはこれだけあるからと自分のポリタンからおじさんのポリタンへ水を移そうとした。私はきれいな満タン500mlをあげるのがスムーズだとその時は思ったけどおじさんもペットボトルのゴミは要らないらしく結局水をうつしてもらっていた。後で考えるとこの夏場に水場までの時間を知らないで歩くのはありえないなと思った。もしかしておじさんは私たちのところに大量に並ぶペットボトルを見て分けてもらおうと思ったのかな。なんか、下山だし途中に水場もあるからと思って、とっさに水を分けてあげようと思ってしまったけど水の残量把握はちゃんとしようと思った。
5:30。ゆっくり準備して出発になった。以東岳の影が山肌に映っていて、北側には「熊の毛皮を広げた」ような大鳥池が近くに見えた。大鳥池に直接下る尾根も、私たちが行くオツボ峰を通る道も、すべてが見えた。どちらも大鳥小屋まで2時間半だ。今日は最後の日だからみんなで行くことになった。天気は快晴で、歩く道からは歩いてきた道が全部見えた。すごい壮大な眺めだった。北には月山や鳥海山も見えた。早朝の空気は暑すぎず気持ちよかった。朝露を一杯つけた笹の間を一番に通った沢子のズボンはあっという間にびしょびしょになった。
しゃべりながら地図を見ないで歩いているとどのへんまで歩いたのか良く分からなかったが小屋を出てから55分ほど過ぎたときにちょっとひろい鞍部に出たので休憩をすることになった。6:25だった。けっこう歩いたのに、頂上から30分というオツボ峰を通った気がしなかった。イマイチぴんとこなかったけどクリケンが「さっきオツボ峰越えたよ」と言っていた。でもそうだとすると三角峰とその水場が先に見当たらないのでおかしいなとは思っていた。10分休憩を取って6:35に出発。歩いてきた稜線の山肌は笹原と草原が風に揺れてすごくきれいだった。真夏の水田のように青々としていた。しばらく歩くとオツボ峰を越えた。三角峰が見えてきて水場の道標もあって安心した。水はあったから汲む必要はなかった。顔がしわしわの北尾君はフリースを着て肩を脱いで腕を焼かないようにしていた。顔の周りの緑の布にもひときわ気を配っていた。私は出発前に100円で買った運転用の長い白い手袋を貸してあげたら「まさにこういうものが欲しかった」と喜んでいた。北尾くんの太い腕にはぴちぴちだった。はたから見て奇妙だった。
オツボ峰コースはうわさに違わずお花と展望がすごかった。オオギバボウシが新たに出現しオヤマリンドウの花がたくさん増えた。昨日蜂が頭を突っ込んでいた、あの花だ。写真を撮ろうと花が開いているものを探したが、花弁は遠慮がちに開くだけでつぼみのような花であるらしい。そのほかにも昨日までに見てきた花が大量に咲いていた。残念ながらずっと探していたヒメサユリはとうとう無かった。
7:25に水場について43分に出発した。北尾君はレーションの残りを確認しながら「あとバームクーヘンだけだ」とか盛んに言いながら食べていた。残りを逐一確認しながら惜しんで食べていくことが楽しいらしい。私は沢子にたくさん貰っていたから自分のレーションにはほとんど手をつけていなかった。「あげようか」と言ったら「いい、やりくりしながら食べていくのが楽しい」って言っていてちょっと笑えた。でも沢子はいろんな高級レーションを崩れていない状態でたくさん持っていてみんなにあげまくっていた。さすがの北尾君も貰っていた。どうやら私と北尾君のレーションの中身は全く同じだから、私のものには興味がなかったらしい。沢子は荷物が重いと言っていたが、こんにゃくゼリーとが食べものを豊富にもっていたせいだろう。無くならない様に毎朝今日の分を別の袋に分けていた。前回はナチュラルローソンのバームクーヘンを持ってきていたが今回はワッフルに変えたらしい。なんか、いろいろ工夫しているあたりが笑える。
水場には、広い鞍部に道標が立っていて、遠目から見てもそれと分かる。ここからも左後ろに以東小屋をずっと見ながら、さらにぐるっと反時計回りしていく。やがて樹林に入りそこからは急な木の根の下りになった。直ぐに膝が笑い出した。早めに休憩を取ればよかったのかもしれないけど、なんとか1時間木の根道を頑張ってゆっくり下った。木の間から見える大鳥池がどんどんと近づいてきた。沢子は相当しんどがっていた。8:43、1080mくらいまで下ったと思う。10分ちょっと休んで出発した。休んだ時点では、あまり下っていないと思ったから多めに見てあと30分は木の根道を下らないといけないかと覚悟したが、10分ちょっとあるいたらふと大鳥池に出た。池の水は澄んでいてとてもきれいだった。水際にすぐ木が生えていて、湖畔で遊ぶような感じでもなかった。2人の人が魚を釣っていた。まだ釣れていないようだった。
9:15大鳥小屋についた。水場とトイレを超えて小屋の近くのベンチでアンチョビポテトを作ることにした。ここで1時間くらい休んでも1時までには着けそうだったから、十分にジャガイモをゆでる時間がとれそうかなと思った。じゃがいものことなんてみんなどっちでもいいかなと思っていたんだけど、なぜか昼にじゃがいもを食べるかどうかの話は何回か出ていて、「じゃがいも、食べたいです」と沢子が言ったのを筆頭に北尾君も「食べたい食べたい」と、クリケンも「うん、いいね」的な、なんかそんな感じで不思議と大人気だった。でも上を歩いている時点ではやっぱり止めて早めに着いて朽木さんと合流しようということにしていたのに、ここへきて私が急に意見を変えたので「お、じゃがいも案が急浮上した」とボソッと北尾君が言った。
13時につく事を見越して、10:10を出発予定にした。水場は流し台のようになっていて6つとか8つとかの蛇口から水が溢れるようにずっと出ていた。ここも冷たくておいしかった。テーブルは大きなブナの木で木陰が出来ていた。池は浅く広くっていう感じじゃなくて尾根の末端が集まったところにできたちょっとした段に、なみなみと水が溜まった感じだった。だから尾根が水に落ちていて、砂浜に当たる部分も少ない。その様子をか、沢子が「北海道に似てる」って言っていた。そんな湖を気の間に見ながらベンチはあった。
ガスを出してじゃがいもを激しく茹でたら、思ったよりあっという間に箸が通った。そこでとうとう用意してきたアンチョビとガーリックを出した。アンチョビガーリックはちょっと焦げすぎていたから混ぜるのに迷った。袋にアンチョビ&ガーリック&バターと、別の袋に宅配ピザでもらったミックスハーブ&レッドペッパーを分けて入れて2種類作ることにした。思いのほかアンチョビポテトは好評でみんなに褒めてもらった。ハーブもおいしかった。やっぱりこういういろんな味のものを食べれるのはうれしい。とくに今回の山では食料は重かったけど大成功だった。何を作っても食べてくれるだろうという安心感からいろいろ試せてよかった。
沢子は小屋内のトイレに行って「すごいきれいです、行かなきゃソンです」と言っていたから私も行くことにした。小屋に近づいたら「宿泊客以外は外のトイレを使うように」という貼り紙を見つけた。その頃には管理人さんが戻って来ていたからあきらめて外のトイレに行った。ここも普通にきれいだった。
10:10、予定通り出発。すぐに七曲に入った。入り口に看板があって、「ショートカットを通ることは森林破壊だからやめるように」という趣旨の内容が書いてあった。「ショートカット(枯葉の引いてある道)」とあったので、定期的に枯葉を敷き詰めているのだろうか。木の枝をわざと置いているのは分かった。
沢子がきれいな小さめのみかんを拾った。明らかに誰かが落としたものだった。私が受け取って北尾君に渡したら北尾君はクリケンに渡してクリケンはなぜかそれを下に向かって投げた。私は食べるつもりだったからすごくムカついた。九十九折だから下で見つけてやると思っていたけど無理だった。
沢子、ねんざする
沢子が直ぐに枯葉の上の握りこぶし位の石を踏んづけて転んだ。「足がぐるりんとなりました」と素でいうのでどれほどか分かりかねたがとりあえず重いものを貰おうかと思って水を1本もらった。浮かない顔をしているので、荷物を北尾君に持ってもらおうよと言うとはじめは断ったけど、お願いしようかな、というのでそうすることにした。あとたった2時間半だから無理しないで無事に帰れたほうがいい。みんな荷物も軽かったし。みんなで分けようと思ったら、北尾君が片腕に1つずつザックを持って両脇に抱えてトコトコと行ってしまった。約1時間後の吊橋での待ち合わせを約束してとりあえず様子を見ながらのんびり行くことにした。いざとなれば北尾君がおんぶするという選択肢も合ったので余裕があった。杖を見つけてスカーフを巻いていると、直ぐに小屋で一緒だったパーティーに抜かれた。リーダー核の人が心配してくれたので「ちょっと足をくじいちゃって」と言ったら「ダメだったら後ろの人が負ぶってくれるかもよ」みたいな事を言っていた。このパーティーにも北尾くん的な人が居るらしい。昨日外で寝ていた人だ。女性人はみんなストックを持っていた。「借りたいな」と思った。いざとなれば、借りて住所を聞いて郵送して返すのもありだっただろうな。とりあえず太めの杖を持って、沢子は下り始めた。
「ショートカット」は、すべての道についていたといっても過言ではない。始めは「これはたしかにショートカットしたくなるよな~」と見送り、そして何度目かに試して通ってみて「うん!ショートカットコースも本コースとして認めるべきだ!」と思うようになる。途中からは明らかにショートカットコースに新しい踏み後がたくさんついていた。
本当の道は、けっこう水平な感じでついているから、たまにショートカットコースからそこに出たときに右に行くか左に行くか迷うことがある。すぐに見通せるようなら間違わないんだけど。でもそういう時ショートカットコースは確実に下に向かって伸びているから安心も出来たりする。
ちょっと歩いたところで、沢子に「テーピング巻いてみる?」と聞いたら「なんでもためしてみます」というので撒いてみることにした。テーピングって「間違った巻き方をしたら痛めることがある」とも聞くからちょっと怖い。でも足首はなんとなくうまく出来る気もしていた。何度もテキストで見たことがある。靴下の上から、足首をクロスするように固めて巻いて、靴をガッチリきつめにしまった上から養生テープをグルグルに巻いて靴の上の部分を固定した。沢子が、「テーピングすごくいい」「全然痛くない、直った気がする~」とすごく喜んでくれたので「早くやればよかったねー」って言っていた。やっぱりテーピングとガムテープと、それと今度からストックを1本持っていこう。沢子は重い杖をなれない感じで使いながらゆっくり下りていた。私は途中から先に行って、ショートカットも含めていい道を探しながら歩いた。沢が流れているところはゴロゴロと大きな石がたくさんあるから、そういったところは歩きづらそうだった。
11:40、ゆっくり歩いたけど15分オーバーで七ツ滝沢の吊橋に着いた。北尾君から受け取った軍手もはめて裾広がりな足元のズボンをセロテープでまとめて沢子は万全の体制になった。北尾君はザックの荷物をみんなに分けるどころが上手にダブルザックにまとめていた。10分休んでから沢子が怖がっていた「ビニール紐の吊橋」を渡った。でも山行記録で見たのよりも改善されたのか、全然不安定ではなかった。でもがっちりした作りの割りに足元の板を固定しているのはビニール紐だった。
30分歩いてちょっとした沢で小休止して、もう10分歩いたら2つ目の吊橋にきて他の人たちも休んでいた。それなのにクリケンが「休憩とろっか」と言ったときはイラッときた。待ち合わせまではあと1時間半くらいだった。まぁギリギリ間に合うかなと思っていた。朽木さんが「私も1時間くらい前に来てそこら辺歩いてみますよ」と言っていたのでまもなく来るだろうと思って北尾君とクリケンには先に行ってもらった。
泡滝ダムで朽木さんと再会。マムシをしとめる
平坦が多くなってからは沢子は全然普通に歩けると言ってかなりいいペースで歩いていた。泡滝ダムは今沿って歩いている大鳥川と南西からの尾根が合流するところにある。やがて正面に3つ目の尾根が見えてきたので私は先に行ってダムが見えたら鈴を鳴らして教えてあげようと思って早足で先に行った。思ったより遠く、なかなか目の前の尾根は近づかなかった。すると向こうから手ぶらのおじさんが歩いてきて、よく見てみると朽木さんだった。帽子をかぶっていたしジャージっぽいズボンを今回履いていたので始めは分からなかった。朽木さん曰く、歩いてくるのが私だと全然気づかなかったがニコッとしたので気づいたとのことだった。駐車場でみんなと待っていると思ったので驚いた。またダムが近いと思って喜んだが、あと10分とのことだった。「あと1人はどうした」と聞くので沢子のことかと思って足首を捻ったことを伝えたらどうやら男性と1人しかすれ違っていないということだった。1人には会ったというので「大きいほうですか、小さいほうですか?」と聞くと「大きいほう」と言った。一番先に行っているはずなんですけど、と言ったけど顔が変わったので分かりづらかったと言うことにしておいた。沢子はもう来ると言ったら、沢子の方角に向かってガンガン歩き始めた。すると直ぐに沢子が来た。朽木さんは私のザックをもとうかと言ってくれた。3人で向かい始めてすぐ、茶色い蛇を見つけた。背中に模様があってなかなか逃げない蛇だった。沢子を待って「蛇だよー」と教えたら朽木さんがおやっと反応した。沢子曰く「ハンターの目になった」。「これはマムシだ」といって、あたりの地面を見渡して石を手に取りマムシの頭めがけて投げつけた。マムシはなぜか逃げなかった。始めどこかに追いやろうとしているのかと思ったけど「これは毒があって人を殺すからやっつけないといけない」みたいな事をいって、殺そうとしているんだとわかった。私も石を探してマムシの頭めがけて投げた。何個目かがうまく当たってマムシが動かなくなった。朽木さんは落ちていた枯れ木をもってマムシの首根っこをグイグイと地面に押しつけた。下は土だったからなかなか致命的な一撃とならずマムシはウネウネして苦しんだ。黒いお腹をひっくり返したりとぐろを巻いたりして、そして鱗もなくなってはじけるくらいパンパンに膨らんでまさに断末魔の地獄絵図を見ているようなおぞましい有様でマムシの苦しみが伝わってきた。朽木さんが一旦棒を捨てて生木の枝を折って来た。マムシはやんわりと動いていたから私はまた石を投げたが当たらなかった。朽木さんはそのとんがった先を指で割ってYの字にしてマムシの首を挟んでクルクルっとマムシを枝に巻きつけた。「こいつは悪いやつだからなぁ」とかいって、それを捨てるのかと思ったら持って歩き出した。「これを食べれば山の疲れなんて1日で治るよ」とも言っていた。でも「お盆の13日にこんな殺生しちゃいけねぇなぁ」とも言っていた。朽木さんがマムシを持って帰ろうとしているんだと分かった。役所に持っていくと退治費として300円くらいくれたりするんだろうか。またはマムシ酒?と思い「お店で出すんですか?」って聞いたら「いいや店では出さない」って言っていた。朽木さんが先頭を歩いて、私はちょっと間をあけて、沢子はさらに間をあけて歩いた。向こうからやってくる人は驚くだろう。その枝にはまだ緑の葉っぱが数枚ついていて、それがまた野性味を増してすごく印象的だった。後ろからみるマムシははじめうねった体でくっついていたけど歩いている数分間のうちにビローンとまっすぐになった。私は目を離すことが出来なかった。そして正面からそれを1番目に見た人は北尾君とクリケンだった。行方不明の北尾君も居てよかった。どうやらお互い挨拶をしたが分からなかったとのことだった。朽木さんが沢子のザックを持ってくれ、すぐに車があった。ギリギリまで持ってきてくれていた。到着したのは13:57で、約束の3分前だった。小休止とマムシ退治の時間を合わせても2時間近くかかったので、やはりエアリアのコースタイム1時間15分は厳しめかもしれない。私たちが靴を脱いだり沢子のテーピングをはがしたりしているうちに、どうやってか朽木さんはマムシを車に入れたようだった。もっていたリュックに生で入れたのかな?
車に乗った。途中、運動会のテントみたいなものの下で、14時後半のバスを待つ人たちが7人くらいいた。1、2人だったら乗せてあげられたけど、まぁ、まもなくバスが来るから必要もないか。朽木さんの運転は安全そのものだった。宿泊する柳川温泉まで連れて行ってくれ、そこで解散だという。朽木さんのことは、誰かが迎に来てくれるらしい。そこまで2時間もの距離を運転してくれるというのだから本当にありがたい。町には車が多かった気がしたが、なんか下りてきた興奮であまり覚えていない。やかんを持った人が多いなと思ったらお盆でお墓参りをするためらしい。途中、その2時間の間にどうしても冷たいジュースが飲みたかったのでどこか自動販売機で止まって欲しいと言うと、朽木さんの知り合いが経営しているドライブインでトイレ休憩が予定されているとのことだった。そこはすごくにぎわっていて、焼きイカとかソフトクリームとかお土産がたくさんあったのに、なんだかみんな急がないといけないと思ったのか、トイレに行って缶ジュースを買ったら車に集まった。私は茹でたてのだだちゃ豆を1000円で買って、あとはりんごジュースとイチゴミルクを買った。イカ焼きはおいしそうだったけど、これからどんなおいしいものがあるなかと考えたらなんかもったいなくて食べなかった。だだちゃ豆はおいしかった。枝豆より味が濃い感じ。板に載せて前のクリケンと朽木さんの分を渡したら、始めは二人とも全然手をつけなくて山盛りで残っていたのに、だいぶ経った後朽木さんがパクパク食べてくれていて見ていて気持ちが良かった。唇も痛い北尾君は塩気が相当しみたようだった。
車中ではどんな話をしただろうか。朽木さんの話が面白くてみんな好感を高めた。マムシ逮捕劇の話もした。朽木さんも私が見つけたこと、石でとどめを刺した事が面白かったようだ。北尾君が、私が退治に加わったことにすごくウケていた。営業のネタにするって言っていた。私が好感をもった話はタヌキを飼っていた話だ。町にタヌキも出るって話になって、「どうしてタヌキをペットにしないんだろうか」って聞いたら朽木さんが10数年間飼っていたと言った。山で赤ちゃんを拾って育てたらしいが、病院代が高くって大変だったと言っていた。風邪を引いたり、レントゲンとったら肺炎になっていたりして。人間の食べるものならなんでも食べるらしく、かなり頭もいいみたい。家族みたいに勝手にドアを開けて外に出て行ったり帰ってきたり自分でドアも閉めたりするらしい。話を聞きながら思い描くタヌキは、まるっきり家族の一員の行動だった。
柳川温泉と居酒屋柳川で山形にはまる
柳川温泉は湯治の宿で一人3,000円程で泊まれたりする。あまり期待はしていなかったけど古い日本家屋の造り?になっていて、梁が太くて天井も高く、そのうえキレイですごく良い建物だった。和室からは庭が見え、キッチンもついている。お湯の良し悪しはよくわからないけど、源泉かけ流しでいいお湯だったように思う。建物の外ではお湯がずっと溢れている蛇口があって、たくさんの人がポリタンクで汲みに来ていた。飲んでも体に良いと評判のようだ。ただ門限が9時というので、私達はすぐに準備をして居酒屋「柳川」に向かった。この名前が同じなのは偶然らしい。むしろ柳川温泉の方が後だと朽木さんは言っていた。当初朽木さんは柳川温泉のすぐそばにある手打ち蕎麦屋での外食とセットで柳川温泉を勧めたのに、旧盆でお休みだったことをたいそう気にしておられた。私達は、どうにでもなるだろうと思っていたけど、朽木さんが経営していらっしゃる居酒屋が今晩もやっているというので伺うことにしたのだった。焼き鳥があるというので私のテンションはものすごく上がり、9時の門限までに戻ってくるためにはあらかじめ注文をしておいたほうがいいかも、という考えもでた。
ついてみると、さっきのマムシが既に皮を剥がされてくしにウネウネに刺されて干してあった。お料理は夏野菜の天ぷらや味噌だれの皮の焼き鳥、焼き鮭や・・・忘れてしまったけど食べられないくらいの品数をどんどん出してくれて、結局食べきれずにだいぶ残した。野菜は近くの畑で作ったものらしい。あ、あと夏に取れるというめずらしいトビタケという木のこの天ぷらも頂いた。めずらしい食感だった。お料理は全ておいしくて奥さんがじゃんじゃん持ってきてくれるのでいったいいくらになるのか心配になったりした。北尾君とクリケンは久しぶりのビールが美味しくて、飲み屋のように何倍も「おかわりくださーいい」と言っていた。私は飲み会みたいなそのノリが失礼なんじゃないかと思って心配したけど、クリケンは「こういうときは遠慮せずにいただいたほうが喜んでもらえる」といって遠慮を止めたみたいだった。食事が終わると、免許取立ての私の運転では不安という空気を読んでバイトの人を呼んで代行をしてくれた。柳川温泉に着くと心配した通り朽木さんは1円も受け取らず、遠慮を止めたクリケンは責任を感じて戻る車に乗った朽木さんになんとか2万円を押し付けた。朽木さんは車の窓を開けてぴらぴらっと2万円を外に飛ばしてプップーとクラクションを鳴らして行ってしまった。あっけに取られた私達は部屋に戻ってからどのようにお礼をしたら良いか相談をして食事代と代行代相当の山のウェアを買ってプレゼントすることに決め、集金もしておいて後日朽木さんにはモンベルのソフトシェルジャケットと、奥さんにはダクロンのかわいいTシャツを送った。
翌日は雨だったので何も観光もせずに帰路についた。途中の国見SAでは桃がシーズンでたくさんの種類が売っていた。天皇にも献上したという2つで500円くらいの桃と、13個くらい入って1000円の少しキズものの桃を買った。家まで車だったらもっと買ったかもしれないのに。桃はかつて食べたことがないくらい美味しくて、しかも1つ残らずおいしかった。
沢子の家の近くである御徒町付近で最後の給油をした1リットル190円といわれ相変わらず高値だった。私達は東京駅で下ろしてもらって電車で帰ったけど、家に着いてすぐに私の携帯と財布をクリケンの車に忘れてしまったことに気がついた。クリケンに電話をしたら既に家の近くに持ってきてくれていた。これから埼玉の坂戸まで帰るのに大変申し訳ない事をしてしまった。高速代くらい渡せばよかった。
そんなこんなでタイヘン充実した朝日連峰縦走となり、なによりも朽木さんの登場で山だけでなく山形の里山の暮らしに触れられたとてもこころ温まる旅となった。
おしまい