チョラパスでまさかの迷子
1998年6月、22歳の女子2人のエベレスト街道トレッキング日記、10~11目。予定外の峠越え、チョラパスに向かうことになったふたり。モンスーンも本格化してホワイトアウトしたチョラパスではとうとう迷子になる。
そそのかされ、チョ・ラ・パスへ向かう
10日目、6月13日。
私達はこの先どうするか、迷っていた。
というのも、前の晩男の子たちが「ぼくがチョ・ラ・パスへ連れて行く」と交互に言い合って騒いでいた。結局ダイが、明日もここにいれば、明後日自分もチョ・ラ・パスを通ってゴーキョに行くから一緒に行こう、ということになった。それで、じゃあもう一日ロブチェへ滞在しようということになっていた。しかしダイは時々酔っ払ったみたいに変な時があるから少し心配だ、とゆかりちゃんは言っていた。
朝7時に起きてミルクティーを飲むと、暇だからゆかりちゃんとふたりでロッジ周辺のゴミ拾いをした。私達はゴミが気になるけど、ネパール人は気にならないらしい。
そうこうしていると、ゴラクシェプへ向けて出発したはずのアメリカ人たちが戻って来た。どうやらお腹の調子が悪く、明日もカラパタールへ行くという。そしてここロブチェに泊まるらしい。ゆかりちゃんが、お客さんがいるのにダイはチョラパスに行ってもいいのか、と問い詰めてもなんだかはっきりしないらしい。そこでさらに追求を続けると、どうやらロッジのオーナーからオフシーズンもしばらく居るように、ということづけを今日受け取ったというのだ。
「なぜそれを早く言わないんだ」、とゆかりちゃんとプンプン怒りまくった。ダイはそういう、ウジウジしたところがあった。
私達は当初、来た道をポルツェまで戻ってまた川を遡ってゴーキョに行く予定だったんだけど、ダイが、チョラパスは簡単だし、近いし、どうしてわざわざ下りていくのか、という。明日まで待ってチリン君と一緒にチョラパスを越える案も検討してみたけど、ダイが罪滅ぼしにか途中まで送ってくれるというのでそうすることにした。
急いで荷物を整えて、12:15にロブチェ(4930m)を出発した。
ダイは私達が怒ってるのを知ってか知らずか、一人歌を歌いながら先を歩いて行く。
川沿いに下って行くと、確かにダイの教えてくれた道は私達が持っていたネパール製の地図には書いていない道だった。そこの分岐までダイが送ってくれた。
ダイと別れると、私達は丘のようなところをずっと巻きながら歩いて行った。斜面には自由に草を食むヤクがたくさんいて、まさに野生ですごく怖かった。ゆかりちゃんは、「道端に居たヤクがじっとゆかりちゃんのほうを見て角を振り上げてきた時には血の気が引いた」と言っていた。
そのうち道は丘の上のようなところになり、このまま稜線上を登っていく道が続いていたんだけど、下の方に道が見えてそっちにショートカットしたくなってしまった。行けると思った道はなんだかだんだんととても歩きづらくなってきて、岩に混じってシャクナゲやツツジの木が生えていた。申し訳ないことに、最終的はそれらをバリバリ踏みながらなんとか普通の道に出て、無事ゾンラに着いた。踏んだ枝から香るツツジの木の匂いがとてもいい匂いだった。ごめんなさい。
ダイは2時間で着くと言ったけど、結局3時間かかった。到着したのは3:15だった。
天気はずっと曇っていて、ロッジがたったひとつだけオープンしていたのを見つけた時はとてもうれしかった。いい人そうなお姉さんがやっていた。他には客も居なかったのでこの日もまた、たくさんおしゃべりして寝た。
夜は雨が降っていた。
もっとも大変な一日 チョラパスで迷子になる
11日目、6月14日。
朝から霧があった。とうとうモンスーンが本格的になってきたんだろうか。
5:50にゾンラ(4843m)のロッジを出発すると、しばらく平坦な川沿いを行く。
6:30頃からだんだん霧が晴れて、ものの10分の間にすべての霧が消えた。すると目の前にチョラパス、後ろにアマ・ダブラム、左手にも山々が見えてとてもきれいだ。
道にはたくさんの小柄な高山植物が咲いていて、日本のものとよく似たものが多い。岩場の急な登りをゆっくり登っていくと、再び霧も濃くなってきた。
9時頃、チョラパスの入り口らしきところに差し掛かった。
ガスが濃く、先が全然見えなくなってしまった。そして気が付くと突然目の前に雪の壁が現れ、道が全然わからなくなってしまった。と思ったら、雪が降り出して、とても焦った。
なんとか道を見つけて9:15頃には雪というか、氷の上にあがった。靴の下はまるでスケート場のような氷。昨日の雨が氷の上を流れ、流れたところはいくつも筋になって道のようにも見えたけど、ハッキリしたトレースらしきものは見当たらなかった。というか、ガスっていてどんな様子なのかよくわからなかった。
まさか氷の上を横断するルートではないだろうと思い込んでいたので、試しに荷物を置いて左手の岩の上を登り詰めてみた。私は最近覚えたてのロッククライミングの要領で、すごい体勢で得意気に登っていった。しかし上り詰めた先の向こうの景色は垂直に近い斜面だった。
そうだ、いくらガイドを付けたとしてもこんなに崩れやすいところを普通のトレッカーが通れる訳は無いじゃないか、ここが道であるはずはないと気づいて下りはじめた。下るときは登るときよりも少しハデに足元の石が崩れた。上空のガスの中で聞こえる「ガラガラ・・・サラサラ・・・」と小石や砂が斜面を滑り落ちる音を下で聞いていたゆかりちゃんは、私が想像するよりももっと恐怖を感じていたらしい。ふたりともとうとう死ぬかと本気で思ったらしく、私が無事にゆかりちゃんのところに戻った時には心から喜んでくれた。そんなに心配をしてくれていたんだと逆にビックリするくらいだったけど、とにかく無事に合流しあらたな運命共同体感のようなきずなが芽生えた私たちはまた一歩一歩岩を下ってもとの道に戻った。
再び氷の上に戻ったのは10:45。1時間半近くさまよっていたらしい。
このロスは単に私が道を間違えたからなんだけど。
氷の上に着いた時は喜んでありったけのお菓子を食べた。20分休憩して11:05、再び今度は氷の上を歩き始めた。
足下の氷はエメラルドグリーンの様に透き通った緑色をしていた。拾った棒で地面をコツコツと突いて一応チェックしながら歩いて行く。ところどころに、クレバスとは言わないまでも、小さな亀裂が入っていた。真っ白なガスの中を足元だけを見ながら慎重に進んでいくと、たまにサビサビの缶とかゴミとか、人の足あとらしき物があった。 その度にゆかりちゃんと喜んだ。
すると、ふと目の前にケルンが現れた。そしてそこにはもう、氷はなかった。その向こう斜面には下りていく先の景色と道が見えた。私達はチョラパスの出口に辿り着いたのだった。
ケルンに着いたのは11:40で、氷の上を歩いたのは30分間くらいだったようだ。安心した私達はそこで10分間の休憩をした。私はその時に大きな水晶を拾った。まるで歩いてきた氷河を切り取ったようなグリーンの透けた色で、それは地面にコロンと落ちていた。この3時間弱の迷子といい、水晶といい、なんだかとても不思議な気がした。
しかしこの下りの道も実はけっこうな急斜面だった。 どんな道かというと、ジャリジャリして崩れるような感じ。現に降った雨が小さな流れを作り、それが何度かあふれだすように決壊して崩れていく様子も見た。小さな土砂崩れの感じだ。やはりヤクが荷物を運ぶような道と、そうでない道はぜんぜん違う。
日本の登山道ならこのような場所も無くはないけど、エベレスト街道のふつうの道はすごく広くて歩きやすいから、それに比べるとここはすごい歩きづらい。私達は皮の重登山靴を履いていたから足を置くと崩れていく道でも歩けたけれど、とにかく、かなりの急傾斜だった。そのガレガレは約40分間続いた。
しかし緩やかになって喜んでからも、そこからまた長かった。川にそって延々と高原のようなところを歩く。迷子と絶壁というイベントの後には、ただただ、単調だ。完全に惰性。長い夏合宿の帰り、観光客が喜ぶ上高地を何も見ずにダッシュで家路に就きたい心境と同じだ。
短い休憩を2回挟んで、タンナの町に着いたのは2:45。崖が終わってから2時間15分経っていた。4690mだ。
タンナではロッジが一つだけ開いていた。
ふたりとも着くなりザックを投げ出して、再びあの氷と絶壁の恐怖についてマシンガンのように語り合った。しゃべってもしゃべっても言い尽くせないくらいの盛りだくさんな思いがあふれていた。本当に、今日のことは死ぬまで忘れないと思う。
そしてそのままこれまでのトレッキングで拾い集めた石の見せ合いっこをしていると、ロッジのお兄さんも加わってきて自分の持っている水晶を持ってきて見せてくれた。どうやら彼ともう一人のおじさんだけが知っている秘密の水晶ポイントが有るらしい。
そしておじさんは私たちに水晶を一つづつくれた。そしてしばらくの間みんなで石の話題で盛り上がった。私の拾った緑の水晶も、もの珍しそうなリアクションで眺めてくれてとてもうれしかった。
実際にエベレスト街道にはいろんな石が落ちていた。当時、東京学芸大学の地生態学の勉強会にときおり混ぜてもらっていた私は地形や地質に少し興味があった。しかしなんでもかんでも拾ってくると荷物が重くなるので、特徴的な石の破片をいくつか拾っていた。ゆかりちゃんはデザイン的に優れたもの、インスピレーションでピピっと来たものを拾っていた。
私の中ではゆかりちゃんは”旅先で石をよく拾うが、すぐに捨てる人”、という印象があった。断捨離が得意な上に海外移住するくらいだから当然だ。余計な荷物は持っていられない。でも、この旅で拾った石だけは帰国後もずっと保管していてくれている。石が珍しいからとかじゃなくて、きっとこの石に詰められたチョラパス超えやカラパタールダッシュの思い出がそれだけ大きいってことなんだろう。
タンナのこのロッジの人はとてもいい人で、雰囲気も良かった。初めてマクラも使った。ゆかりちゃんと、今こうして平和に眠れる幸せを語り合いながら8:30には寝た。