伊吹山登山の情報と日記
登山コースについて
伊吹山の1合目をすぎると山頂までは草原が続きます。日を遮るものがないので、暑い季節に登る場合は帽子と十分な水分が必須です。また山頂付近の登山道では露出した岩が滑りやすいです。滑落事故も多い様なので、雨の日は特に注意して通過しましょう。
伊吹山登山の情報
登山地図とコース
- 登り合計:3時間50分
- 下り合計:2時間30分
- 伊吹山の標高:1377メートル
- 標高差:登り1167メートル、下り1167メートル
- 上記コースの距離:往復で9.2キロ
- トイレ:登山口、1合目、3合目、山頂
コースタイム
伊吹山登山口(駐車場) | 0:00 |
3合目 | 1:40 |
伊吹山山頂 | 3:50 |
3合目 | 5:20 |
伊吹山登山口(駐車場) | 6:20 |
標高差や距離はカシミール3Dというアプリケーションを使って計算したおおよそのものです。 コースタイムは「山と高原地図」を参考にしています。上記のコースタイムは目安ですので、初心者の方は余裕を持った計画を立てた方が安全です。
伊吹山の駐車場
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今回利用した伊吹山の駐車場の地図です。観光案内所前の駐車場の料金は1000円、登山口に位置しているので大変便利です。またこの付近には、個人営業の1日500円の駐車場もたくさんあります。
伊吹山登山の参考地図・資料
伊吹山の天気などのリンク
伊吹山登山日記
実家に遊びに来ていた姉の家族が名古屋に帰る。
ということで僕も登山の準備をしてその車へ便乗した。名古屋から近い百名山、滋賀県の伊吹山に登るのだ。
2013年3月20日祝日。
当初の予定では、僕だけが姉の家から電車で滋賀県に行き、伊吹山に登り帰ってくるというシンプルな計画だった。けれど姉の提案により、姉の家族はついでに「奥伊吹スキー場」でスキーを楽しむ事に。そして春休みでヒマをしている、三河湾に浮かぶ篠島の親戚も呼んだりなんかして、春休み的な賑やかなイベントとなった。
伊吹山の登山口に着いたのは朝9時半過ぎ。登山口には観光案内所、その隣には立派な「三宮神社」があり目印となる。名古屋の姉の家を出て、軽くコンビニに立ち寄って、1時間と15分はかかっただろうか。
また観光案内所の前には15台は停められそうな駐車場があり、料金は1日1000円とあった。しかしあたりには「駐車場500円」と書かれた看板も沢山ある。近所の方々が運営しているのだろう。
そして僕を下ろすと、姉達は「奥伊吹スキー場」に向け走り去って行った。
9時40分、登山開始。樹林帯の幅の広い登山道を登る。
さっそく思ったのは、誰がどうやってこんなに広い登山道を作ったのだろう、という事だった。そしてこの幅の広い登山道を、遠足で来た学生達が汗をかきながら登って行く姿を想像できた。そんな雰囲気のする登山道だった。
それにしても登山道の傾斜はなかなかのもんだ。地形図を見て予習していたから良いものの、何も知らないで登ったら嫌になる斜面だろう。しかも何となく、頑張って登ればきつい斜面が終わりそうな雰囲気すら漂わせている。
なので体が前へ前へと進みたがった。でもそれを制して、本気でゆっくりと登る事を心がけた。汗をかかない、息を切らせない、太ももの筋肉を使わない。そして先を急がない。伊吹山の山頂までは標高1000メートル以上は登り続ける。こんな感じの山は、歌でも歌いながらのんびりと登るに限る。経験上そう思った。
しかし、そんなゆっくりと登る僕を3人の登山者があっと言う間に追い抜いて行く。それでも焦らない。ゆっくりと登るんだ。
登山を開始してから30分もかからないうち、1合目に到着した。
1合目には、伊吹山がかつてスキー場だった頃に営業されていたと思われる建物がいくつかあった。その中のいくつかは廃屋だった。きれいなトイレは普通に使用できた。
そして木の生えていないだだっ広い斜面が広がっている。ナイター用の照明的なものもあった。
雪が多く降ったらここに来てみたいなと思った。リフトがないので登山口から自力で登らなければならないけど、こんなに広い斜面を滑って降りたら楽しそうだ。雪が積もっていなくても、ソリがあれば楽しめるかもしれない。
そしてそんなのっぺりとしたきつい斜面を、相変わらずゆっくりと登った。振り返ると下界の町並みや遠くの山々を見渡せる。
登りながら思ったのは、何だか懐かしい山だなあと言う事だった。木が生えていない丘の様な山だからだろうか。ススキと枯れた草の色のせいだろうか。 シートでも敷いて寝転んで、団子でも食べながらぼーっとしたい景色があった。
伊吹山が見渡せる様になったのは3合目辺りからだった。3合目は開けている場所で、その奥に伊吹山がどどんと構えている。伊吹山の形をはっきりと見渡せるのですごく気持ちがいい。
もしハイキングの様な感じで伊吹山に登るんだったら、この3合目までだろうなと思う。3合目が伊吹山を綺麗に眺める事ができる。辺りも開けて気持ちいいし、トイレもある。
そう、2合目辺りですれ違った登山者が「節分草が咲いているよ。3合目のトイレの東の草原に咲いているよ。小さな花だよ。」と教えてくれた。僕が大きなカメラを持っていたからだろう。
ありがとうございますと言いながらも、どちらかと言うとその草原を歩くのが面倒な様に思えた。名前からしてもレアな花の様には感じたけど、相変わらず僕は花にはあまり関心が向かない。
そんな事を3合目のトイレを通過する時に思い出したので、僕はトイレの東側をなんとなく進んでみた。でも、きっと彼はこうゆう事を言ってたわけじゃないんだろうなあ、と思っていたが、やっぱり僕には節分草を見つけられなかった。だって、「東側の草原」と言ったってかなり広いのだ。よっぽどの花好きじゃないと、登山道を外れて花を探しに行く事なんてできない。
教えてくれたおじさん、申し訳ない。
伊吹山を眺めながらの登山が続いた。止まると肌寒いけど、登っている時は長袖のTシャツでも暑いくらいだ。
5合目くらいまで登ると、より遠くの景色を見渡せる様になった。琵琶湖の湖岸も良く見える。対岸が霞んで見えないので、まるで海に近い山を登っている様な感覚にもなった。
「滋賀県と琵琶湖。」この景色を眺めながら、僕には思い出さない訳がない出来事があった。
もうかなり前になる。
当時、本気で将来の事を考えていた僕は「手に職をつけよう。体を動かす仕事が自分には向いているだろう。」と考えていた。
そこで就職サイトで仕事を探すと、滋賀県で大工を募集をしている記事を見つけた。ただしそこには大工募集とではなく、「カーペンター募集」と書かれていた。大工だろうがカーペンターだろうが結局は一緒なのだろうけど、その「カーペンター」と言う響きに異常に魅力を感じたし、その会社は洋風の家を専門に建築するようだった。煙突があって暖炉がある様な、素敵な家だ。そんな家を作っている自分を想像すると止まらなくなり、滋賀県だろうが何だろうが僕はその面接を受ける事にした。
面接のため滋賀県まで行った。東京から滋賀に行って帰って来るだけでも時間も金もかかった。まあ面接と言ってもかたい感じではなくて、社長と直接あれこれと話すだけだった。そして僕はそれに合格し採用された。
滋賀へ出発する前には友人と飲み会を開いたり、家族なんかが集まってお別れパーティ的な物を開いたりした。みんなに「滋賀でがんばってくるよ」、今までありがとうと言った。
そして僕は意気揚々と滋賀県に向け出発した。
が、翌日には東京に帰って来ていた。
バイトをしてすぐに辞めるという経験はそれまでにしたことがあった。けれど、働かずに帰って来ると言うのは始めてだった。出発した日の夜8時頃に滋賀の職場に着き、翌日の7時頃にはそこを去っているのだ。10時間ほどしか滋賀には滞在しなかった事になる。奇跡の様な出来事だった。
夜8時頃、僕はその会社に着くと寮に案内された。
寮に案内してくれたのはそこで働いている方だった。若かったけれど、当時の僕よりは年上だったと記憶している。
外灯の無い恐ろしく暗い道を寮に向け歩いた。道かどうかもわからないほど暗い。その道の左右ではカエルと虫が耳が痛くなるほどの声で鳴いていた。
遠くからはかすかに、波を打つ音が聞こえる。遥か遠くの暗闇の中には、ここから一番近いと言うコンビニがポツンと光っていた。地球から割りと近い、明るめの星を見ている感じだった。すげえ所に来たな、と思った。
会社の寮と呼ばれていた所は、寮と呼ぶには少し荒れすぎていた。廃屋とまでは行かないが、床や通路が物でひっちらかっている。会社がいらなくなった施設を買い取り、そこを寮としたと言う話しを聞いた。
そう言う理由で部屋はたくさんあって、その中の一部屋を僕はあてがわれた。畳みの六畳間のシンプルな部屋だった。その部屋の中心には、東京から事前に送ったダンボールがぽつんとあった。その中には圧縮した布団が入っていた。
荷物を下ろし腰を落ち着けた頃、僕を案内してくれた従業員の方が部屋に遊びに来た。そこで彼はこの会社の実態について洗いざらい語ってくれた。
彼の話によると、この会社は基本的には家の基礎作りしかしないようだった。それ以外は他の会社に投げるらしい。カーペンターらしきおしゃれな作業は一つも無いと言っていた。ただの力仕事ばかりで学ぶ技術もないと彼は言っていた。
「ヨーロッパから来ている外国人の職人が技術を指導する」と就職サイトには書かれていたが、どうやら彼らはただの出稼ぎの外国人で、日本語もほとんど理解しない様だった。聞けば給料のシステムもかなりひどかった。彼の言う唯一素晴らしい事は「外に出ないから金が貯まる」という事だった。
そんな話しを彼と2時間ほどした。彼はすごく気さくな人で、全てを包み隠さず話してくれた。僕がいなくなるなんて思わなかったのだろう。
彼が自分の部屋に戻ると、旅で疲れた僕は布団を敷き電気を消した。
遠くで聞こえる琵琶湖の波音を聴きながら寝ようと試みるも、僕の頭は冴え一向に眠くなる気配はなかった。頭の中では彼が話してくれた会社の実態について考えがぐるぐるとまわっていた。
どうやら彼の言う事が正しい様に思った。僕はここに来た事を後悔していたし、自分が長い夢を見ていた事にやっと気がついた。カーペンターや暖炉、煙突、洋風などの素敵な言葉に酔わされ、現実を見る力を失っていたのだ。なんと愚かだったのだろう。そんな考えを頭に巡らしては、夜はどんどんと更けて行った。一向に眠くならない。
さて、僕はこれからどうしようか。とりあえず数ヶ月は働いてみるかどうか。いや、ただの肉体労働ならば働くだけ時間の無駄では無いだろうか。
そんな考えでせめぎあっているとついに夜が明けた。
そして僕はここから逃げる事にした。
寮に住む3人の従業員が仕事に出てからが行動開始だった。
まずは会社に電話をし「今日は必要な物を買い出しに行くから仕事には出ない」と告げた。そしてその後、布団を圧縮するために掃除機を探した。あったらいいなと言う軽い期待しか持っていなかったけれど、無人の寮をさまよううち廊下に転がっている掃除機を発見した。よし、これで布団を圧縮できる。
布団を圧縮しダンボールに詰め終わるとタウンページも探し出した。宝探しの様だった。そして近場のヤマトの営業所に電話をし、荷物を取りに来てくれと頼んだ。
ヤマトが来るまでには時間があったので、昨晩話し込んだ従業員の方に手紙を書き、それを彼の部屋のドアの下に差し入れた。どんな事を書いたのだろうか。恐らく、ここから逃げる事の決意と大義名分なんかが力強く書かれていた事だろうと思う。
ヤマトに荷物を引き渡すと、ややこしい仕事は全て終わった。僕が一晩寝ていた部屋は、僕がいたのかと言うくらい元の状態に戻った。よし、あとは見つからない様に帰るだけだ。
ザックを背負うと寮を飛び出した。雲も風も無い最高の陽気だった。
せっかくの天気だったので僕は琵琶湖に立ち寄って行く事にした。
寮から少し歩くと琵琶湖の湖岸に辿り着いた。湖岸は昨晩に比べ穏やかだった。そんな琵琶湖を眺めながらゆっくりと一服をした。
その僕の目に伊吹山は写っていたのだろうか。
そしてその後見つからない様こっそりと駅まで歩き、そこから電車で京都に出て、その日のうちに高速バスで東京に帰った。何かあるかも知れないと思い、途中のサービスエリアでは宝くじを一枚だけ買った。
とまあ、そんな思い出を頭に浮かべながら6合目も過ぎ、そして7合目も過ぎた。まだまだ山頂までは同じ様な道が続きそうだ。山頂を眺めながら、急斜面をジグザグしながらひたすらに登る。
それにしても、そのような出来事で僕は何を学んだのだろうか。素敵な笑い話しが出来ただけかも知れない。
6合目、7合目と休まずに登り続けた。道は相変わらず急斜面をジグザグと登ってゆく。山の登り方と頂上の見え方なんかは富士山と似ていると思った。山頂はずっと見えているのだけれどそこから時間がかかる。
早く山頂にたどり着きたいと言う思いを押し殺し、同じペースでゆっくりともくもくと登りつづけた。
そろそろこの登りにも飽きてきたなあと思った。山も景色もあまり変わり映えしない。そして雲は空に相変わらず張り付いている。変化があったとすれば、登山道に少し残雪がでてきたことだ。その雪解け水で登山道がぐちょぐちょになっている箇所もあった。
残雪と言えば、姉に強く言われ軽アイゼンとピッケルを持って来たけれど、どうやら出番は無さそうだった。それどころか、スニーカーで下りてくる人もいるくらい。重装備なのは僕くらいなもんだろう。
シリセードも持って来なくて良かった。これをザックにくくりつけていたら、えらい恥をかいたに違いない。滑れる雪なんて無いんだ。
12時50分。伊吹山の山頂に到着。
すごく広くて見晴らしの良い山頂だ。遮るものもないし、近くに高い山も無いからずっと遠くまで見渡す事ができる。晴れてればなあとは思うけれど、晴れていたらつらい登山になったに違いない。山の東の斜面を日を浴びながら登るのだから、暑くて仕方ないことだろう。夏に登るのなら、夜間にご来光目的で登るほうが良さそうだ。
伊吹山の山頂では昼ごはんを食べ、雨が降り始めたので下山した。登りと同じ道を、雨で滑らない様にゆっくりともくもくと下った。そして16時20分頃、登山口に到着。無事に百名山の1つ、伊吹山を登る事ができた。
しばらくするとスキーを終えた姉達が登山口に車で来てくれた。そして僕らは帰りがけ、道の駅「伊吹の里 旬彩の森」でヨーグルトやアイスを食べたりして、そして帰路についた。車の後の席ではみんなぐっすりと寝ていた。楽しい春休みになった。