初心者のための登山とキャンプ入門

DAY15:カラパタール5550m。ウォーリーキレる

エベレストトレッキング カラパタール

2014年10月22日、昨日の日記より

夕食の時間、ジョンとウォーリーに自分の病状を告げた。これは普通じゃない症状だ、寒すぎる、もしかしたらジアルジアかも知れないと。
すると彼らは僕のことをすごく心配してくれた。僕のために予定を変更するとまで言ってくれた。カラパタールでご来光を見るという予定も、僕がムリだと言うと快く受け入れてくれた。情けない、申し訳ない、と泣きたくなった。全ては僕が元気であれば何事もなかったのだ。 僕が元気であれば今朝の話し合いもなかっただろうし、カラパタールでご来光を拝むこともできたのだ…。

チームとは何だろうか

2014年10月23日、朝

昨晩そんな話し合いがあったにも関わらず、ジョンとウォーリーは朝飯も食べずにカラパタールに登ろうとしていた。慌てて理由を聞いてみると、「山がビューティフルでエキサイティングしている」らしい。カラパタールの上でシリアルバーを食べる、それが朝飯だそうだ。
冗談じゃない。僕は昨日一日死にそうで、一晩寝たからと言って全快したわけじゃない。せめて朝飯くらいゆっくり食べて、身体を温めてから登らせてくれないだろうか。日がもう少し登り、気温がもう少し上がるまでは待てないだろうか。標高5500メートルの寒空の下で病人にシリアルバーを食べさせるなんて、あまりにも酷じゃないだろうか。なぜそんな選択ができるのだろう、と疑問に思った。

「登りたければ登ってこいよ。俺は自分のタイミングで登る。」とまで言おうと思ったけれど、それを言うと全てが終わってしまいそうだったのでやめた。代わりに「何で朝飯を食べないんだ。俺は食べたいのだ。」と力強く告げた。するとウォーリーは「よし食べよう」と若干キレ気味に答えた。

朝食を食べながら「チームとは何だろうか」と考えていた。

彼らはよく「俺たちはチームなんだ」ということを言う。
彼らと行動を共にする中で、彼らは食料や薬をシェアしてくれていて、僕はそれに申し訳ないと思い「お金を払う」とか「せめて自分の分は持つ」とか、いつもそんな風に言っていたんだけど、その都度彼らは「俺たちはチームなんだ」的なことを言った。だから気にするなと。
でも、それはそれで嬉しかったけど「チームだったら持たせてくれよ」とも思っていた。
そういう訳で、僕は水を自分の持てる限界まで担ぎ、なるべく彼らに分け与えることを心がけた。そうすることで沢で水を汲む回数が減り、僕もチームの一員として仕事をしている気になれた。

それに、僕が持っているお菓子も休憩の度にしつこいくらい勧めた。こっそり一人でお菓子をつまんでいるのはチームにあるまじき行為だと思った。なぜなら彼らは食料を僕にシェアしてくれるからだ。
なのでナムチェの宿では、夜中にこっそりとスニッカーズをむさぼりながら罪悪感を感じていた。持っている食料は全てシェアすべきなのかも知れない、こっそり食べたと知れたら「YOUはチームの一員じゃない」と考えるかも知れない。自分がカトマンズで買ったスニッカーズなのに、僕はそんな心配をしながらスニッカーズをむさぼっていた。

という感じで、僕は彼らと過ごす間、常にチームを意識して過ごしていた。僕の方がかなり年が上だったこともあり常に空気を読んで行動していたし、自分の欲求をほとんど言わずペースも食事もトレッキングのコースも全て合わせてきたつもりだった。いつも一人で山道を歩いているので面倒に感じることもあったけれど、彼らと歩く方が楽しいはずだと思い、自分の意見は控え彼らに合わせた。

そんなチームの一員に、病気になってしまったチームの一員にゆっくりと朝ごはんを食べさせ、そして日が昇りきり暖かくなってからカラパタールに登る、という計画がなぜ立てられないのだろうか。なぜ標高5500メートルの寒空の下でシリアルバーを食べればよかろう、と考えられたのだろうか。

もちろん彼らの気持ちもわかる。なるべく早く登り、カラパタールの頂上から少しでも多くの時間エベレストを眺めていたいのだろう。
そしてそして、カラパタールの頂上からご来光を拝みたがっていたことも重々承知している。それは僕のせいでなくなってしまったが、「ご来光を見ることはできない。俺は普通に朝起きてから登るよ」と言うと、「じゃあそれに合わせる」と彼らが言ったのだ。だから昨晩は、ありがとう、そして申し訳ない、と涙がでそうになったのだ。

ウォーリー、キレる

そしてつい、僕は余計なことを口走ってしまった。「悲しいよ。昨日と同じじゃないか」と。朝食のチャパティをナイフで切りながら、深く考えずにそんなことを言ってしまった。

そして、ウォーリーがキレた。「昨日はYOUが行くと言ったからここまできたのだ。今はYOUが朝飯を食いたいって言ったから食べてるんだ。何が問題があるんだ!」と声を荒らげた。早口で完全には聞き取れなかったし他にも色々と言っていたが、内容はこれに近いと思う。かなり大きな声だった。
近くにはロッジのスタッフがいて何事かとこちらの様子を見ていた。
こんな時、僕の視点は鳥の目になり、レストランの天井から室内全てを見渡している。窓際の陽の当たる気持ちの良い席で、小さなアジア人がごっついヨーロピアンにめっちゃ怒られている。それを近くの人が何事かと見ている。その光景をアリアリと頭に描くことができた。

何も言うことはできなかった。反論できなかった。ウォーリーの言うことに間違いはないのだ。彼は昨日の僕の気持ちなど知る由もないし、それに彼からしてみれば、ご来光を見たかったのにそれを諦め、なるべく早く登りたいのに僕に合わせて朝飯まで食べてやっている。これのどこに不満があるのだ、ということだろう。真っ当な言い分だ。

この時僕は、自分がなぜ「悲しい」と言ったのかを彼に説明した様に思うが、よく覚えていない。わかっていることはとにかく伝わらなかったということだ。たぶん、例えば僕がヒステリックな嫁だとしたら「あなたは私のことなんてちっとも考えちゃいないのよ!」と泣いているわけで、夫のウォーリーは「だからこうやって熱海くんだりまでお前を旅行に連れて来てやってるんだろ!」と怒っている様なものだろうな、と思った。お互い寄り添うのは難しい。

寒く孤独なカラパタール

エベレスト カラパタールへの道

カラパタールの登りはきつかった。エベレストをものすごくゆっくりと登っている人をテレビで見ることがあるが、その気持がよくわかったし、僕も気持ち的にはエベレストを登っている様な感じだった。体が重すぎるし、なぜか指先と唇がしびれてきた。酸素が足りていない証拠だと思った。

多くの人にとってカラパタールの頂上は大きな目標かもしれないが、僕にはもう結構どうでもよく惰性で登っている様なものだった。ここまで来たから登ろうか、くらいのテンションだった。2,3日前から景色の変化が少なくなり、この荒れた景色も尖った雪の山々にも飽きていたし、カラパタールは登りたい山の頂上でもなかった。「エベレストの先っちょが見える丘」としてのイメージしかなかった。
なので頂上に到着しても簡単に数枚の写真を撮り、ほんとのほんとのピークには登らずにすぐに下りた。ピークに座ってエベレストを眺めていたウォーリーが「ここまで来いよ」的なジェスチャーをしていたが「俺は下りる」というジェスチャーを返してスタコラと下りた。チームとしての団体行動などすでにどうでも良く、僕は自分の身の保全を考えるばかりだった。

彼らはたぶん、しばらくピークに座りエベレストを眺め続けるだろう。それはわかっていた。これまでも、彼らは気に入った場所があると長い間そこから動かなかったりした。なので今日は付き合ってられない、とすぐに下りた。すこぶる寒いのだ。激しく登ってきても一向に汗をかかず、むしろ体は冷えてきている。1秒でも早くここから下りてロッジのレストランで暖を取りたいと考えた。
それに僕は、登山でも頂上に長く滞在するタイプではない。どんな山でもほとんどの場合頂上は寒いし、人が多く混雑する。なので登頂後はすぐに下り、暖かい場所を見つけては休憩する。風が強い山頂でレインウェアやダウンを着込み、手袋までして弁当を食べる人がいるが不思議に思う。

憧れのエベレストではあるけれど、寒さをこらえながら長い時間眺めるようなものでもなかった。見えるのはほんの先っちょだけなんだ(エベレスト登山の多くの歴史を知っている人は、色々なイメージを膨らませて楽しめるかもしれないけど)。

エベレスト カラパタールへの登り
カラパタールへの登り
エベレスト カラパタールへの登り2
カラパタールへ 頂上付近
エベレストトレッキング カラパタールのピーク
カラパタールの頂上
エベレストトレッキング カラパタールの標高
カラパタールの標高
エベレストトレッキング カラパタールからの眺め
カラパタールからの眺め
カラパタールから見るエベレスト
エベレスト

登山道は全て雪で埋もれていたが、人の足跡もはっきりとありトレランシューズでも問題なく登れたし、下れた。

下りながら考えていたことは2つの事だった。
ひとつは、カラパタールの頂上で少しは彼らと過ごすべきだったか、ということ。かれこれ2週間近くもジョンとウォーリーと歩いてきたのだから、せめて形だけでも「イエーイ」と記念撮影でもすべきだったんじゃないだろうか。まあそんな空気でもなかったけれど、少しの間だけでもがまんすべきだったかも知れない。あとで何か言われるかもしれないな、と後悔した。(実際、後々これが問題になった。)
2つ目に、このまま書き置きをして下山してしまおうか、ということを考えていた。真剣に。けれどカラパタールから下りたあと、ゴラクシェップのレストランで日記を書いているとその行為は面倒になってしまった。
そして、近いうちに「俺は俺の道をゆく」と伝えなければならないと思った。彼らはこの後トゥクラまで下りそれからチョラパスを越えてゴーキョに行くだろう。僕にはもうここは十分だったし、これ以上体調を悪くして揉め事のタネを作るのも嫌だった。

ジョンとウォーリーがカラパタールから戻ってくると、一緒に昼ごはんにポテトを食べた。胃の機能がおかしくなっているようで、あまりうまく食べられなかった。

再びのトゥクラへ

エベレストトレッキング ゴラクシェップで昼食
ゴラクシェップでのお昼ごはん。微妙なムード。

ゴラクシェップから氷河に沿いロブチェへと下る。昨日来た道を同じ様に戻る。ダウンジャケットを着て厚めのニット帽をかぶって歩いているけれど、汗もかかないし寒い。特に指先がどれだけハイペースで歩いたとしても冷たい。汗もかかないので喉もかわかない。

懐かしのロブチェにたどり着くと雪がぱらついていた。たしか、前に来た時もロブチェでは雪が降っていた。ロブチェはきっと、雲が集まりやすい場所にあるのかも知れない。
ロブチェを過ぎトゥクラへ向かう途中、指先が暖かくなるのを感じた。標高がほんの少し変わっただけなのだけれど、まるで南国に向かって下りてきている様な気分になった。
そしてトゥクラに着いた。ここが今晩の宿だ。

レストランでは昨日と同じ様に、ストーブの周りに椅子を並べて人々が輪を作っている。ロブチェで仲良くなったドイツ人の夫婦もいる。英語がもっとうまく話せればなと思う。
夜ご飯はここにきて初めてソバを注文した。ダルバートは少し胃に心配だった。フライドヌードルっていうメニューだったけれど、特別に美味しくなかった。ジョンとウォーリーはカラパタールの登頂記念にビールを注文した。

宿のスタッフは良く働く。みな若いし良く動く。山深くなるにつれスタッフの働きぶりも上がっている気がする。店長らしき人も若いが、目がすごくキリッと力強くて常に周りを意識している。寒いところで働いている人ほど気合が入っているのかも知れない。
そういう彼らの働いている姿を見ていると僕も一緒に働きたくなる。なんというか、客でいるのが申し訳なくなってしまうし、みなで協力してこの世界で生きている様な気がするのだ。

トレッキングメモ

かなり厚めのネックウォーマーがあるといい

ストーブについて

ストーブの燃料はヤクのフンだ。穀物袋の様な物に乾燥したヤクのフンが大量に入っていて、それを若いスタッフがひとつずつ取り出し、半分に割ってからストーブの中に入れる。とても暖かくて幸せになるが、宿の外はケムくて最悪だ。

温かい飲み物

何か体が温まる飲み物、生姜湯などあると良いかもしれない。そして小さいヤカンなんてあるといいかも知れない。実際、小さいヤカンを持ってきて、それをロッジのストーブの上に載せ自分でお湯を湧かしている人もいる。トルコ人だった様に記憶している。ストーブの前で暖を取りながら、沸いたお湯に砂糖を入れ飲む、という作業を繰り返していた。羨ましいと思った。

アジア人の登山客

登山客の中でアジア人は少数だが、その中でも日本人は最高に少ない。ほとんどが中国人でその次に韓国人。それにもかかわらず、多くのネパール人が日本のことを知っているし、挨拶くらいなら日本語でしてくれる。昔は日本人の旅行客が多かったのだろうか。アジア人の旅行者と言えば日本人ばかりだったのかも知れない。
日本人の観光客は少ない。それでも、こうやって日本を知ってもらえていることがすごく嬉しい。

DAY15:今夜の居場所マップ

ネパール・エベレストトレッキングマップ