ビーサンでカラパタール登頂
1998年6月、22歳の女子2人のエベレスト街道トレッキング日記6~8日目。トゥクラで過ごした風と寒さと頭痛の暗い夜、一転してロブチェでの楽しい日。カラパタールに向けて出発した私たちに起こった不運な出来事、そしてビーサンで5545mへ。
死にそうなおばあさんと3人きりの夜
6日目、6月9日。
ちょっと都会っぽかったペリチェでゆっくりして11時に出発した。
この日もとてもいい天気で、まわり360度すべての山が見渡せた。
アマ・ダブラム、タウツェ、タムセルク、カンテガ、ローツェ。もうすっかり広々とした山の中。自分に対するこの広さと、遠くの山の大きさ。広すぎて大きすぎて、もう心落ち着ける割合じゃない。押し入れがあったら入りたい。
こんな所にいたらいつだって迷子になれるし、なんかあって死んでも見つけてもらえないかもしれないし、存在感というか上下関係というか、そういうものが完全に自分の中で逆転してしまった感じ。いや、そもそも”人間は自然の一部”って言われるように、本当はこの通りなんだけど、やっぱり町中で人が作ったものに囲まれて生活しているとそんなこと少しも感じない。
でも、ここでは、「あ、実はそうだったよな」と気づくような、そういう感じ。自分を覆う木々が無いからかもしれない。威圧感がすごすぎる。
山はますます大きくなってきて、とても美しかった。
岩や石の散らばる丘を歩いていたら突然橋が見えてきて、そこはトゥクラだった。到着は14時、4620mだ。
私は少し頭が痛い気がして、今日はここまでにしてもらうことになった。この日は途中で1回30分休憩しただけで、2時間半しか歩かなかった。もうそろそろ高度障害にももっと気を配らないと、いよいよそんな感じだ。
ロッジは2つあったけど1つは閉まっていて本当にさみしいところだった。開いているその一つのロッジには細くて色が黒くてシワシワで動きのスローな、今にも死んでしまいそうなおばあちゃんが一人で切り盛りしていた。一泊10ルピーだった。約10円だ。
時間が止まったかのような空間だった。
ものすごい広い世界の小さな小屋の中に、人間は私達ふたりとおばあちゃんの、たった3人。石を積み重ねて作られた小屋の中は暗く、そして狭く、おばあちゃんの調理する作業場はすぐ横で丸見えだった。
カマドに焚き火をして火を炊いていた。私達はブラックティーを頼んだ。おばあさんは素手でヤクのフンを乾燥したものを握り、カマドの中へ放り込んでいる。そしてそのままの手でグラスを握り、紅茶を注いだ。
なんか異様な雰囲気にちょっとハイになっていた私達はその様子をチラチラみながら、ひたすらおばあちゃんの仕草とこの魔女の家みたいな雰囲気についてチャチャを入れながらコソコソ話をしていた。食器もタライの中に貯められた少ない水の中で濡らすだけのように洗っていた。
魔女のおばあさんは、ものすごく重い病気のような深い咳をした。それがますます空気を凍らせた。
午後になって外はもう風が強いし、とにかく寒い。私たちは持っているすべての服を着込んで、ひたすらたくさんお菓子を食べ続けた。私が少し散歩に行っている間、ゆかりちゃんはおばあさんとお話をしたらしい。おばあさんは子供も居なくてずっとここで一人で住んでいるという。
そしてゆかりちゃんは日記に書いた。「明日起きた時におばあさんが生きていますように。私達が食べられていませんように。」と。
調理風景を見ていたゆかりちゃんが心配したとおり、夕食に頼んだダルバートはものすごくまずかったらしい。だいたいのものは美味しくいただけるというゆかりちゃんが言うくらいだから、相当だ。
おばあさんは、「ここでは4時すぎには風が強くなる、明日は12時には着くようにここを早く出なさい」と助言をくれた。まるでナウシカの中の誰かが言いそうなセリフだ。
私はやっぱり気のせいではなく頭が痛くて、ゆかりちゃんもやることがなくて、6時には寝た。
魔女の家を早々に脱出、明るいロブチェへ
7日目、6月10日。
ゆかりちゃんは夜明け前に目が覚めたらしいけど、さすがにシュラフの中に入ったまま朝日が出るのを待っていた。5時に外のトイレにいくと山がとてもきれいだったらしい。私はまだ頭痛が残っていた。
朝、紅茶だけを飲んでとりあえず先に進むことにした。ここに連泊はありえない。
トゥクラ(4620m)を6:45に出発。
岩岩の丘を登っていく。山が本当にきれいだ。鳥が澄んだ空に「ピーリリリッ!」っと鳴いている。ゆっくりと1時間半歩いたから休憩をすることにした。
丘の上にはシェルパたちの墓、チョルテンがたくさんあった。ここからはたくさんの山が見渡せる。こういうものがもし無ければ、ここがたくさんの人が命を落とした山だってことを忘れてしまう。静かすぎて何もないから、この先のエベレストでそんな壮絶な登攀劇があったことなんて想像がつかないくらい。それくらい静かだ。
やがて丘も平らになり、川辺を歩く。その辺りから川岸にコケも生えていて一層いい景色になってきた。小さいうさぎが居て2人で一応捕まえようと追いかけてみたりしたけど、ふつうに逃げられた。
そうこうしているうちにロブチェへ着いた。9:30。4930mだ。
ロブチェはとても気持ちのいいところだった。目の前が開けていてとても明るい。目の前に小川があって、後ろには丘がある。ロッジは4つあってどれも石造りでとてもいい雰囲気だ。スタッフは4人だけ。皆若い男の子で、明るくてノリがいい。昨日いた世界がまるで嘘みたいだった。
昼ごろに脈を測ると、ゆかりちゃん66回、私は88回。ゆかりちゃんはルクラからほとんど変わっていないけど、私もナムチェあたりからずっと変わっていない。頭痛もなくなって、快調だ。
明るく賑やかなところに来てすっかり安心した私達は、シュラフを干したりTシャツを替えたり洗濯をしたりした。川の水は白く濁っているけど、汚いわけではないらしい。あたりまえだけど。ゆかりちゃんは外のベンチにひなたぼっこをしながら日記を書き、スケッチをしていた。
ゆかりちゃんの書いた絵。ちなみに右上の目(ブッダズ アイ)は、予めこのノートに印刷されているイラスト。
それでもやっぱりヒマになってきて、ふたりでロッジの後ろの丘を登りに行った。
ハイジごっこ、とかいってはりきったけど、丘は下から見上げるよりも大きくてかなり上まで続いていた。でも上まで登りきってみると、周りが良く見渡せた。目の前が氷河だとわかっていても近すぎてイマイチぴんと来なかったのが、上から見るとその全体像みたいなものがよく理解できた。そして次に登るカラパタールや、またプモリも大きく見えた。
やがて寒くなったので戻ることにした。やっぱり3時過ぎると風が出てきた。ロッジに着くとストーブに火を入れてもらい、暖まった。
夜は、他の3人の若者も集まってきて皆で火にあたりながら日本語講座なんかをしてすごした。
ロブチェでぶらぶら、ピラミッドと砂浜
8日目、6月11日。
今日はロブチェに滞在する予定。
羨ましいくらい惰眠を貪らない早起きのゆかりちゃんは、この日も5:30に起きてとてもきれいな景色を見たらしい。7時頃にヌプツェの真上から登ってくる朝日がすごく美しかったという。ゆかりちゃんと旅をすると、かならず先に起きているのはゆかりちゃんで、いつも早朝の時間を有意義に使っている。うらやましいと思いながらも、まねできない。
すごくのんびりしたあと、「8000m INN」というイタリアのホテルがあると聞いてそれを見に行くことにした。ロッジのお兄さんはとても親しみやすい人で、私達は「ロブチェのダイ」と呼んで仲良しになった。ダイはネパール語で「お兄さん」の意味だ。そのダイが、イタリアのホテルのことを教えてくれた。私達はそこでケーキを食べたいという願いを密かにもちつつ、出かけた。
教わった通りに行くといきなりガラス張りのピラミッドとロッジが現れて本当に驚いた。これは隠された宇宙人の拠点なんじゃないかと本当に思えてしまうくらい、驚いた。最近石造りの建物しか見ていなかったからか、あまりにも急に近代的なものを見て極秘情報に触れてしまった気にさえなった。
「なんなんだ、これは」と、うろちょろしていると中から白人が出てきて、「見学がご希望ですか?」と言う雰囲気になり、なりゆきでドクターに会わされ内部をいろいろ案内された。
そこにはパソコンや電話なんかがあった。私達はただケーキとチョコビスケットを買いたかっただけだったから、ただあっけにとられたし、いろいろ説明してくれて申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
そこでは高所における人間の体やメンタルに及ぼす影響なんかを研究しているとのことだった気がする。一応お礼を言って、最後にビスケットが売っているかどうかも尋ねたけど、もちろんなかった。
その研究所の向かいの丘の上に、雪が溜まったすごくいい景色があるのが見えた。
近くから見てみようということになり、また道無き道を適当によじ登っていったら、上り詰めた先にはなんと白く濁った池が見えて感動だった。しばらく感動したあとにまた岩を下って戻るのはなかなか大変だったけど、今度降り立ったところはなぜか砂浜になっていた。砂の上は陽があたって暖かかったのでゴロゴロしたりきれいな石集めをした。道を探しながら変な道を行くのはなかなかの大冒険で、ロッジに戻ってきた時にはけっこうな充実感と疲れがあった。
ちょっと昼寝をして目が覚めるとホットレモンを飲んで、まだ行っていない方の丘を散策してみることになった。
この丘を登るとどこへ行くんだろう、何が見えるんだろう、そんな感じでワクワクしながら盛り上がって登ったのに着いてみるとさっき行った氷河につながっていた。なんだ~、とがっかりして川に降りることにした。
川の真ん中の大きな石に腰を掛けて休んでいると、流れの音がとても心地よかった。「たぶんお母さんのお腹の水の中に居た時はこんなかんじだったんだろう、それくらい安らぐ」とゆかりちゃんは日記に書き残していた。
いよいよ体も冷えたのでロッジに戻り、火にあたっているとダイの友達という人が4-5人やってきた。とても賑やかで楽しい人達だ。
そしてさらに驚いたことは、突然あのイタリアのホテルのネパール人がやってきたことだった。まさか私達にビスケットを持ってきたんだろうか、とゆかりちゃんとふざけて言っていたことがなぜだか私たちのツボにはまって、しばらく笑いが止まらなかった。
皆がそのうちお酒を飲み始めたのでキッチンへ逃げると、ダイニングではケンカが始まっていた。それにしてもみんなでワイワイとおしゃべりして楽しい夜だった。
ビーサンでカラパタールをピストンした日
9日目、6月12日。
今日は次の宿泊地、ゴラクシェプへ出発する日。朝、早めの5:30に起きて準備をし、寝ていたみんなをたたき起こして記念撮影をした。ダイも気さくだったけど、みんな明るくていい子だった。17歳のチリンくんはとてもよくしゃべる子でゆかりちゃんは「ダンガン君」とあだなをつけていた。来月、親の選んだ、自分は顔も知らない人と結婚するらしい。それでも楽しみと言っていた。もう一人の男の子はラジオが大好きだった。
お別れを済ますと、ロブチェ(4930m)を6:30に出発。次のゴラクシェプも遠くないから、またロクな朝食も食べずに飲み物だけ飲んで出発した。
そして事件が起こったのは出発して40分後、朝7時だった。
川原沿いに歩いていると、上から一人のネパール人が歩いて下ってきた。そして、「ゴラクシェプのロッジを閉めてきた、もうどこも開いていないよ」、と言った。私達はパニクった。でもちょっと考えてすぐに決めた、「ダッシュしよう」と。
・・・うん、行ける、朝早いし急げば間に合うはずだ。
そしてお菓子を食べて、必要な荷物だけを私のザックに移した。二人分のカッパ、トイペ、ヘッデン、お菓子、地図、カメラ。
そして靴下と重登山靴を脱ぎ捨て、素足にビーサンで身軽になってダッシュすることにした。どうか荷物が戻ってくるまで誰にも盗られずに残っていますように、いや、私達が無事荷物を発見できますように、と祈る気持ちで岩陰に隠した。
ビーサンは私が日本から持ってきたものではなく、ゆかりちゃんがネパールの生活で使っていたものを2足持ってきていた。1つはハナオのある安っぽいペラペラのビーサンで、もうひとつはハナオは無く、甲と踵がゴムで抑えられたサンダルだった。どちらも不安定だけど、ハナオしかグリップする部分がない薄いビーサンはガゼン2人の間では不人気だった。どちらもゆかりちゃんの私物なのにもかかわらず、貸してもらう身であるにもかかわらず、「ハナオ部分が痛いから、交代で履く」というルールになった。
7:30に出発してゴラクシェプに着いたのは8:45。すでに5288mだ。
休憩もせず、かなり早歩きで歩いてきたにもかかわらず、ゴラクシェプはなかなか遠かった。急いでいると余計遠く感じるのかもしれない。思えばこれは普段の登山でも言えることだし、ちょっとした焦りと不安がそう思わせたのかもしれない。道は、これまで歩いたよりもけっこう狭くもなっていたし、荒々しさや荒涼感もこれまでとはダンゼン違ってさらに威圧感を増していた。
下に見渡す氷河にはところどころ穴が空いて、雪の壁の下の穴の中はエメラルドグリーンの池になっていた。もう苔むす川原ではなく雪景色も増えてきて、道の脇には足を滑らせたのか、ヤクが転がって死んでいた。とても長い1時間15分だった。
たどり着いたゴラクシェプ(5288m)は広い砂の広場のようになっていた。そしてカラパタールはとても近くに見えた。
この登りに備えてお菓子を補給すると、更に荷物を絞り込んだ。ザックをデポしてカッパの上は各自の腰に巻き、小さなポシェットにトイレットペーパーとカメラを入れて、いざカラパタールへ向かった。
カラパタールへの道はかなりの傾斜で、しかも砂っぽくてとても登りにくかった。ビーサンが滑ってとても歩きにくかった。ただでさえ標高が高い上に、とにかくお腹が減っていたから体が重くてしょうがなかった。でも体調が悪いとは感じなかった。雪なんかもなく、危ないところも一切なく本当に丘のような山だった。そもそも、エベレストの展望台っていう感じの位置づけらしい。
10:45、カラパタールの頂上へ着いた。
ゴラクシェプから1時間45分登った。5545mだ。
やっぱりそこからは、登らないと見えない景色が見れて、これまで見てきた景色とはまったく違った。エベレストや、エベレストベースキャンプあたりの雪が全部見えた。氷河もこんなふうにあるのだ、と全貌が見えた。そこではとにかく写真を撮りまくった。
上から見ていると、ベースキャンプはあの辺だろうと思われたが、何もテントやら道標やらそれらしきものは見えなかった。もちろんオフシーズンだから誰も居ないのかもしれないし、見えなかったのかもしれない。
とにかく私はベースキャンプに行きたかった。「行ったっていうことにしようか」そんな相談もしたけど、ずっと見ていると、このまま目指しで直線に行けば、近道してたどり着けるような気がしてきた。
しばらくの検討の末、ためしにベースキャンプへ行ってみることに決めた。
頂上では20分の休憩をして、出発したのは11時すぎだった。
日本の山だと登山道以外を歩くことって無いんだけど、どうもこのあたりは好き勝手に歩きまわりやすい。木々がなく見渡せるから迷わずにガンガンいけちゃうし、日本の山よりも地面が崩れにくい感じ。石も動きにくい。だって日本の北アルプスで適当に歩こうと思うとガレてしまうところばかりだ。
どのくらい進んだんだろうか、しばらくさまよった後に、やっぱり諦めてゴラクシェプへ戻ることにした。
登るのに1時間45分かかって戻るのに2時間もかかっているから、けっこう進んだのかもしれない。もしくはハナオが痛いビーサンでは下りのほうが時間がかかったのかもしれない。
1時、ふらふらでゴラクシェプへ戻ってきた。
とにかくお腹が減っていた。二人とも朝から一袋のビスケットをチョコチョコと小出しに食べているだけだった。そこで、非常食のコンデンスミルクに手をつけてしまうことに決めた。ビスケットにコンデンスミルクをタップリとかけてまさにエネルギーをチャージし、1:15にゴラクシェプを後にした。 早く帰らないと風が出てきてしまう。
帰りはやはり大変だった。体が重くてしょうがないし、来た道と同じとはいえ、氷河を見下ろしたその向こうにも雪壁がある景色は荒涼として恐ろしい。
なんとか歩いて荷物を隠した場所に辿り着いたのは、2:20。長い1時間だった。やったぁ、荷物を無事ゲットしたと喜んで、再び厚い靴下と重い重登山靴を履いたときの安心感は「これで生きて帰れる」という感じだった。
そしてロブチェに戻ったのは3:20。「無事生還」と二人で抱き合って喜んだ。ダイも「おかえり」という感じだった。
ロッジにはチリン君とラジオ少年、イタリーホテルのクックのネパール人、それからアメリカ人のお客さんも2人居て賑やかだった。みんないい人達でとても話しやすい。そんな中ゆかりちゃんと私は、とっておきの味噌汁を出して乾杯をした。
そしてしばらくすると、朝ゴラクシェプからロッジを閉めて下ってきたあの少年が宿に来た。なんと、お客がたくさん来たからナムチェへ下る計画をやめて戻ってきて、これからゴラクシェプへ戻るんだという。なんとまあ。私達がベースキャンプに行けなかったのはあんたのせいだー、と二人で影で悪口を言って寝た。 大変な一日だった。