トレッキング初日、シェルパ少年との出会い

1998年6月、22歳の女子2人のエベレスト街道トレッキング日記。カトマンズ空港での感動の再会をした2人は飛行機でルクラへと飛び立った。そこでは健気に働くシェルパ少年ミンマとの出会いがあった。
カトマンズでの再会と準備
空港を出た時、そこに普通にゆかりちゃんがいたことにむしろびっくりした。
「あの伝言、伝わったんだ。」まるでメッセージを詰めて海に流した小瓶が無事目的の人にたどり着いたような、そんな驚きだった。
空港を出ると空気はモワンとして、道路には牛が歩いていて、空気は悪くその辺にフンもいっぱいあるし、とてもゴチャゴチャしていた。
もちろん素晴らしい所もいっぱいあるんだけど、とにかく、お腹の弱い私はそんな喧騒の中ですぐに下痢になってしまった。トレッキング前だというのに。昼の観光をしているときは外国人が観光客相手にやっているレストランとかで昼食を取って、トイレを借りた。公衆トイレっぽいものは無いのでそうやってトイレを気にしつつ動かないといけない。トイレットペーパーは常にポケットの中。
町中には登山用品店がたくさんあり、日本で見るような欧米製の商品がたくさんある。そしてそれは日本で買うのと同じような値段がついていた。反対に、現地のものはそれの1/10くらいの値段で売っている。地図についても同じで、ネパール製のトレッキング用地図も安く町中で手に入った。私達は1/75,000の縮尺のものを買ったが、印刷や紙質なんかもそれなりな感じだった。聞くこところによるとやっぱり高価だがドイツ製が詳細で優れているという。
このような「激安で低品質なネパール製品」と「高価で高品質は欧米製品」という構造はいたるところで見られた。
準備といえば、まずは登山口までの飛行機を確保しないといけない。カトマンズから歩いていけるLumbini Airwaysという航空会社のオフィスに直接行った。往復でUS$166だった。今よりももっとUSドルが高かったのでこの出費はかなり大きいけど、しかたない。バスと歩きでルクラまで行く道もあるけど6日間位かかってしまう。
あとは地図に蛍光ペンを引いて、だいたい20日間でどこを歩いて帰ってくるか相談した。地球の歩き方のモデルプランとかコースタイムなどを参考に日程を割り振る。
ルートの取り方で迷う点はほとんど無い。エベレスト街道はシンプルで、川に沿った形でYの字にトレイルがあって、それぞれの先端にカラ・パタールとゴーキョ・ピークという2大人気ポイントが有る。そこを往復してくるのだ。
カラ・パタールの先にあるエベレストベースキャンプにまで足を伸ばすか、または2大ポイントのいずれかにするのか、もしくは両方行くのか。そのあたりは体調によって決めればいい。ちょっとしんどくなったら停滞して(同じ場所でもう一泊)体を慣らしたほうがいい場合もあるだろうし。だから数日予備日を持っておいて現地で決めることにした。
こういったアバウトな計画の立て方には慣れていた。というのも、大学の歩こう会の夏合宿では北アルプスを2週間位掛けて縦走した。縦走というのはテントや食料を背負ってずっと山の上を歩き進める登山スタイルのこと。集合する日と場所を決めておいて、数パーティー(グループ)に別れて別々の登山口からスタートする。各々のパーティーが2-3日の予備日を持っているから、体調が悪い人が出た時に休憩日にしたり危険な箇所を歩く日が悪天になれば留まって晴天を待ったり、逆に順調に進んで余り気味だったら気持ちのよいテント場で長居したりと調整する。今回はテントじゃないけど、ネパールの山小屋は安いのでこういった気ままな旅がしたいときは本当に助かる。そんな感じで計画はアバウトに、あとは日本から持ってきたお菓子をザックに入るだけ持って出かけた。
シェルパ少年ミンマと出会い、一緒に歩く
1998年6月4日。45分間の小型飛行機でのフライトを終えた私達はルクラの地に降り立った。標高2800m。
時計を使って脈拍を測ってみると、ふたりとも一分間に60くらいだった。近くのロッジでピザとホットレモンを注文して1時間半ほどゆっくりし、12時半に歩き出した。とうとうトレッキングが始まったんだ。
今日どこまで歩くかはまだ決めていないけど、エベレスト街道には2時間ごとくらいに町があって必ず宿があるので安心だ。日本の登山道とは全然ちがう。それぞれの宿の値段は調べていなくても、物価が安いので全然気にならない。経済の格差があるのは申し訳ないと思うけど、自分が旅をする場合には本当にありがたい。
道は広く歩きやすくて、至る所にチベット仏教の面影を見ることができた。

これはマニ石と呼ばれ、お経が書いてあるという。両側に道があって通るときは必ず左側を通るという習わしがある。
出発から3時間ほど経ったパクディンの手前では、岩に絵を彫るおじいさんにも会った。ちなみに下山してきた時この絵は仕上がっていた。

飛行機で一緒だった人はだいたいここ、パクディンに泊まるらしいが、私達は先に進むことにした。
ルートはずっと川(コシ)沿いで、氷河から流れ出る川は白く濁っている。やがて吊り橋を渡った。
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そしてこの辺りで、ミンマドルジ・シェルパという少年と仲良くなった。
ミンマは13歳で、これからナムチェにチーズとバターを売りに行くという。20歳のお姉さんと3人の弟とお父さんと暮らしているらしい。お母さんは最近亡くなったという。
彼はプラスティックのツボに入ったチーズとバター10kgづつ、合計20kgも背負っているらしい。ポーターやチベット系の人はみんな逆三角形のカゴに物をたくさん入れて、輪っかにしたヒモをおでこで支えて背負っている。登山のアルパインザックと同じように重心が首下から背中の上部にかけて乗るし、きっと見た目よりうまい具合に重さを感じずに背負えるのだろうと思っていた。
そこでミンマに言って私も背負わせてもらったら、首の大事なホネがグキっと潰れてくっついてしまうかのような感じがして、これは危ないと思ってすぐにやめた。っていうか首が後ろに曲がるだけで重くてびくともしなかた。

カトマンズに留学していたゆかりちゃんがネパール語を話せたのでミンマとはすぐにお友達になった。そして今日はこの先のモンジョまで行くというので一緒に行くことになった。ゆかりちゃんはミンマとたくさんおしゃべりをして私に通訳をしてくれた。ミンマはまったく英語が話せないので私と二人になると無口になったが、それでも笑顔とジェスチャーで通じ合える感じがした。自分たちと「似ている」感がすごくあるんだ。利発そうで気の利くとてもかわいい子だった。
道の途上では何人かの物を売りに行く人々と出会った。下の写真のおじさんはこれからやぎを売りに行くところで、フンなどの汚いものを食べないように口にフタをしているという。他には、背負ったデイパックリュックから二羽の生きた鶏が頭だけを出していて、これからナムチェに売りに行くんだという若者も見かけた。

GumilaやBenkarの街を過ぎて再び川を渡ると、まもなくチュモアという町に着いた。
5:45だったので今日はここに泊まろうということになった。ミンマがソルクーンブ・ロッジに泊まるというので私達も同じ所に泊まった。そしてミンマの提案で、明日もナムチェまで一緒にいくことになった。
付近にはチベタン顔のこどもたちもとてもかわいい。でも「写真を撮るなら何かくれ」、という。髪型や表情が、まるで昭和初期の日本の子どもたちをみているような気分になった。
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夜、寝る直前に脈を測ってみた。昼に60だった私は89回まで上がっていた。ここは2950m。ルクラから180mを川沿いにゆるゆると歩いてきただけだったので標高は全然感じないけど、こんなに脈が上がっているなんて、と驚いた。
そしてのんびりして9時には就寝した。