初心者のための登山とキャンプ入門

カトマンズ空港のタクシーとペテン師

カトマンズ空港の怪しいタクシー

はじめに

エベレスト街道を歩きたいと思ったのは数年前で、その頃にガイドブックも地図も買い、計画もぼんやりとは立てていた。けれど物事にはタイミングがあってネパールには行けず、いやタイミングなんかなかったのかも知れない。そんな大したことじゃない。2014年は山登り的な活動をほとんどしておらず、エベレストトレッキング一本やっておけばなんとなく2014年を生き抜いた感じがする、と自分を納得させることができる。そんな理由でトレッキングの準備を始めた。

エベレストトレッキングの行程はほぼ決まっていないと言って良かった。できるなら長期間山にいて、できる限り多くのところはまわりたいという気持ちがあった。カラパタール、ゴーキョ、エベレストベースキャンプ、それにチャンスがあれば6000メートルを越えたピークにも登りたい。ジリからトレッキングをはじめようとは決めていたけれど、それ以外は登ってから決めようと考えていた。

結局のところ、予定通りジリ(シヴァラヤ)から登ったけれど、シンプルにカラパタールに登ってエベレストを見ただけでトレッキングは終わった。僕にとっては憧れのエベレストでもなく、標高5500メートルから見るエベレストはそれほど高いとも思えなかった。空もいつも通りの高さにあった。何も変わらない、いつも通りのステキな山の景色だった。ただ異常に寒かった。ここは人のいるべき場所ではない、と早く下りたくて仕方がなかった。

カトマンズへはエアアジアを利用して行った。いくつか調べたところエアアジアが一番安く、片道4万円程度のチケットを買うことができた。クアラルンプール経由で遠回りだったし、そこで5時間ほど潰さなければならなかったけれど、日本からカトマンズへの直行便は無いわけだしそれが一番安くて最適な方法だった。

ネパール・カトマンズへ到着

カトマンズ空港
カトマンズ空港

2014年10月7日。

カトマンズへは滞りなく到着した。空も晴れ、標高1500メートルでの日差しはきつく感じた。

空港の外へ一歩踏み出ると2人の男が僕の方へ寄ってきた。身なりは普通。タクシー運転手の様だ。
顔の濃いヒゲの男はタメルまで「700ルピー」だと言い、すらっとして鋭い目つきの方は「600だ」と言った。

僕は少し混乱していた。入国審査がうまくいったのか不安だったところで、それでも久しぶりに外に出られたことでほっとしていて、完全に気が緩んでいた。その緩んだ隙間に彼らはスッと入ってきた。なので彼らの言うことがイマイチ理解できなかったし、どうしてよいのかもわからなかった。とりあえずタバコが吸いたかった。
そんな3人の輪の中に、背の低い、モンゴロイド色の強い小ずるそうなタクシー運転手が割って入ってきた。そして「300ルピーでいいよ」と彼は流暢な日本語で、割とわかりやすい悪そうな顔で僕に言った。とりあえずタバコを吸わせてくれと僕は言った。

タバコを吸いながら僕は別のことを考えていた。入国審査がうまくいったのかどうか。これは結局何の問題もなかったんだけれど、あまりにも僕の手続きが周りの人に比べて早かったので入国審査を飛ばしてしまっていたのでは、とあれこれ考えを巡らせていた。

タバコを吸い終わるとその300ルピーの背の低い男についていくことにした。ついて行くことにした、というよりは何も考えていなかった。ただ何かを考えるにはあまりにも疲れていたし面倒だった。
そして700だ、600だ、と言っていたタクシー運転手達は、あっさりと僕を300ルピーの男にゆずった。彼らが何を言っていたか全く覚えていないが、「300ルピーでタメルまで行けるなんてラッキーだな、せいぜい楽しんできな」と言っている様な気がした。そんな悪い顔を彼らはしていた。

案の定、僕がついて行ったタクシーの運転手はタクシーの運転手ではなかった。彼は空港の出口から少し離れた所に止めてあるタクシーまで歩き、その運転手に話しかけると助手席に座り込んだ。僕は後部座席にバックパックと共に乗り込んだ。

薄ぼんやりと気がついていたけれど、それは「空港のタクシーの客引きに注意」というやつだった。出発前にネットで見た記憶がある。①空港で日本語を話すタクシーの運転手、②安い値段でタメルまで行くという、③そしてタクシーの助手席に座り込む、④そしてそのままトレッキングエージェンシーに連れて行き、法外の値段で色々と契約させる。そういう類の悪いやつだった。

全ては筋書き通りだった。まさに筋書き通り物事は進んでおり、僕はその中の登場人物の一人になっていた。そしてあまりにも筋書き通りすぎてむしろ彼を情けなく思った。もっと工夫はできないのかと。いや、どうだろう。彼を責めることで自分の不甲斐なさを誤魔化していただけなのかも知れない。
まあそんなことはいい。どこかで僕はタクシーを降りなければならない。このまま乗り続けると少し面倒なことになる。面倒というか、これ以上疲れることになる。タクシーを降りる場所をしっかりと見極めなければならない。景色に集中しなければならない。

後部座席から眺めるネパールの景色は想像よりも荒れていた。道は赤く埃を立てていた。家は立っているのか崩れているのかわからなかった。人々はそこで働いている様に見えたけれど、それが少しも効率的な作業に思えなかった。空の青と地上の赤、そんな印象だった。生暖かく埃っぽい風が車内を通り抜けた。

そこがタメルかも知れないと思ったのは、地球の歩き方で紹介されていた「ネイチャーニット」と書かれたウール製品を扱う店の看板を見つけたからだった。それに周囲の雰囲気もそれまでと大きく違い交通量も多く、人々の往来も激しかった。町の中心部的な雰囲気を感じた。

たぶん、僕が声をだすまでにそれほどの時間はかからなかっただろう。大きな声で「車を止めてくれ、ここで下りる」と運転手に向かって言った。一瞬の間があり、助手席のペテン師がごにょごにょと言った気がするが、運転手はウインカーを出し車を道の脇にとめた。そして僕は「300ルピーと言ったよね」と力強く彼に告げ、予め用意していた300ルピーを運転手に渡した。そしてドアを開け外にでた。
するとペテン師が、「何か入り用があればここに来てよ」、とやや困った顔をしながら名刺を僕に手渡した。ネパール的な、ヒマラヤの絵が描かれたトレッキングエージェンシーの名刺だった。

カトマンズ・タメル

地面に降り立ちタクシーを振り返ると、運転手は助手席のペテン師に「たった300ルピーじゃないかよ」と文句を言っていた。ペテン師は「ああ、やっちまったぜ」と返事をしていた。そんな言葉が彼らのおでこにはっきりと書かれていた。 案外あっさりと引くもんだな、と思った。
また下りた場所は僕が地球の歩き方を読んで目星をつけていた宿、「インペリアル ゲストハウス」の近く。300ルピーでタメルまで来ることができたし、幸先がいいと思った。

インペリアルゲストハウスとタメル

インペリアルゲストハウスは、タメルの大通り、グーグルの地図によると「アムリトマーグ」というメジャーな通りから脇道を入り、そこから「コの字」に一分ほど歩いた奥まった場所に位置していた。なのでやや見つけづらく、また人通りがほとんどない路地を歩くので少し不安を感じた。

宿の主人らしき背の低い老人はニット帽をかぶっていた。冬季オリンピックのカナダの選手の様な、赤と白のボーダーのニット。そして昭和的な古いタイプの縁のメガネをかけ、ベテランの船乗りの様な顔をしていた。笑顔はないし表情も変わらない。けれど彼の風貌は僕を安心させた。いい宿に来たと思った。
料金は1泊12ドル。地球の歩き方に掲載されていた料金よりも若干高かったが、シーズン中の料金かも知れないし、シャワートイレ付きのダブルベッドなら文句は言えない。ワイファイも使える。それに主人の安心感だけでなく、若いスタッフの笑顔が素晴らしい。絵に描いた様な100%ピュアなスマイル。
いい宿に来た、と思った。

インペリアルゲストハウス・ツインルーム

暗くなってしまう前にタメルの街をぶらっと歩くと、夜ごはんは宿の近くの西洋的レストラン「Killoys」でネパール名物のダルバートを食べた。しかし僕の行った時間は電気が止まっている時間帯だったので、ろうそく1本で食べる初めてのダルバートは何を食べているのかさっぱりわからなかった。しかしうまいことだけはわかった。

それにしても、おしゃれな西洋的なガーデンテラスのテーブルクロスの敷かれたテーブルで、店員の服装と立ち姿はとてもジェントルメンで、夜風は涼しくて、目の前のロウソクはロマンチックを演出していた。そして周りのテーブルは全てヨーロピアンで占められ、にぎやかで微笑ましい光景で、平和でバカンス的で、そんな中、僕はコーラを一人ストローですするアジアンだった。なんだかとても居心地が悪く、コーラを飲み終わるとすぐに店をあとに宿に戻った。白人には永遠に勝てない様な気がした。

ダルバート
ダルバート
ネパール 夜のタメル
夜のタメル

夜のタメルの狭いストリートには、ひっきりなしに車が走りクラクションを鳴らし、排気ガスとホコリが舞い、道の角を行けば笛売りが声をかけてくる。土産物屋が流すネパール的な音楽、騒音、匂い、眩しいテールランプと看板のイリュミネーション。色んなモノがワッと僕の全身に襲いかかり、その波だかなんだかの圧力に負けてよろけそうになる。これがカトマンズ、タメルなんだと知った。

いきなりのこの世界に少し気が張っているようだ。道の臭さも、停電も、部屋のドアのカギが開けづらいことも、何もかもが便利な世界から何もかもが不便な世界に飛び込んでしまうと、ついつい「なんでだよ」と苛立ってしまう。
でもすべてを受け入れてリラックスして、この世界をエンジョイするしかないんだ。

カトマンズは想像した以上のところだ。まだまだついていけなくて、興奮して、眠れそうにない。