DAY1:カトマンズからバスでジリ、シバラヤへ。ジョンとウォーリーとの出会い
2014年10月9日。
携帯のアラームで目を覚ました。
時間を見ると1時過ぎ。4時半頃にセットしておいたのだけれど、としばらく混乱していたが、ケータイの時間をネパール時間に合わせることをしていなかったことに気がついた。じゃあ一体目覚ましは何時に設定すればいいんだろう。と計算をしていると頭が動き始めそれからしばらく眠ることができなかった。
次に目を覚ましたのは4時30分。身支度を30分で整え部屋を出た。
フロントに下りると受付の隣りの部屋をノックし「グッモーニン」と声をかける。宿は夜中鍵が閉まっていて外に出られない様になっている。昨晩、朝早く出ることを宿のじいさんに告げると、部屋をノックしてくれればいい、と言われていたのだ。部屋から小さなうめき声が聞こえた。
あの哲学者みたいなじいさんの寝起き姿はどんなだろうと期待していたが、昨日と同様にカナダ色したニット帽をかぶり同じ服装をしていた。顔はかなり眠たそうで、彼は何も言わず入り口の方へフラフラと歩くとドアの南京錠の鍵を開けた。僕が外にでてグッバイと言うと彼は目だけで挨拶をし、そして部屋へと戻っていった。
オールド・バス・パーク
騒がしいタメルの通りも夜中にはさすがに静かだった。自分の足音が闇に響くのが聞こえる。
登山に出発する時や登山中、こうやって朝の闇の中を歩くことは多いけれど、この時間がとても好きだ。別の世界を歩いている様な気分になるし、自分という存在を強く確認することができる。
さて、タクシー。こんな時間にどこでタクシーがつかまるかという不安はあったけれど、めぼしをつけていた大通りまで出るとタクシーはたくさんいた。
僕が乗り込んだタクシーの運転手は250ルピーでオールドバスパークへ行くと言った。そして彼の故郷はジリの近くの様で、道中の会話は弾んだ。気さくな男だった。
タクシーを下りる際に彼に300ルピーを渡した。250ルピーと言う、いつもより50ルピーも安い値段提示に心打たれたし、何だか彼に出会えたことが幸先の良いことに感じた。その幸先の良さに50ルピー払った。
真っ暗で広いバスターミナル。一見すると何も見えないが、目を凝らすとその闇の中でうごめく人々の存在を確認することができる。深海の様な世界。そんな中を、恐る恐るチケットカウンターへ向けて歩いた。
チケットカウンターの前では多くの現地人らしき人が群れていた。破綻した銀行に群がる人々の様だった。けれどカウンター内から漏れる光で浮かび上がる彼らの顔には、特別怒っている様にも慌てている様子も感じられなかった。状況が良く飲み込めない。しばらく遠巻きにその様子をみつめた。
そんな様子をぼうっと眺めていると、チケットカウンターとは反対の闇の中からザックを背負ったガタイの良い白人男性2人が、ぬっと現れた。欧米のトレッカー。年は若い。
僕の前に止まったその男達は目を見開いてチケットカウンターを眺めている。人が群れ混雑している光景を見て情報分析をしている様に見える。
そして彼は近くにいるネパール人らしき男性に声をかけた。その男は英語が話せるようで白人の彼と会話をしている。そしてどうやら会話は成立しているようだ。白人のトレッカーも「なるほどなるほど」と言う顔をして話している。状況を呑み込めた様だ。
千載一遇のチャンス到来。すかさず僕もその二人の間にスッと入り「ジリに行きたいのだ、どういう状況なのだ」と尋ねた。
白人の彼が言うには、とりあえず待つらしい。僕は全く状況は呑み込めていないが、言われた様にとりあえず待つことにした。もう、後は彼らに任せておけばうまく行くであろう。
気がつくと辺りには人が増えている。これから田舎に帰る、と言った雰囲気の若い女性もいる。他の人と比べ肌が一段と黒い、リュックサックを背負った男性もいる。ここが日本だとしたら、このバス停は東京駅の八重洲口になるだろうか、新宿の西口だろうか。旅の入り口と出口の匂いがする。夜が明けてくる。
そんな夜明けのオールドバスパークをぼーっと眺めていると、白人の1人が「カウンターでチケットを見せてくるんだ」と言った。僕はあわてて立ち上がり、カウンター前の人だかりの隙間を縫いオリの向こう側の人間にチケットを手渡した。すると彼は何かを確認し、すぐにチケットを僕に返した。そして僕は待ってくれていた白人の後を追い、近くに停車していた中型サイズのバスに乗り込んだ。やった。
なんだかよくわからなかったけれど、彼らのおかげで無事にバスに乗ることができた。彼らがいなければ僕は極めて困った状況になっただろう。そこらで右往左往していただろう。ついてる、と思った。これでしばらくは緊張もなくバスの旅を楽しむことができる。
そして6時、バスは出発した。
すっかり明るくなったカトマンズの景色をバスは走り抜ける。外は曇り、というか朝もやだろうか。バスの中には運転手の他に乗務員、白人トレッカー2名、それと地元に帰ると言った雰囲気のネパール人女性1人、窓を開けずっと外を見ている若い男性が1人。冷たい風が車内に入り込む。
スーパーエクスプレスバスは町のバス停らしきところでちょいちょい徐行になる。するとバスの乗務員がドアから体を出し、そこらにいる人に向かって「○○○○ジリ!ジリ!。○○○○ジリ!」と大声で呼びかける。そして乗務員の男がバスのボディを「バン、バン」と2回強く叩くとバスは再び走りだす。バンバンと2回、それが運転手への合図の様だった。
ちゃんとしたバス停もなければ料金を回収するマシーンもない。行き先が書かれたプレートもない。そういうわけで、それらの役割を乗務員がカバーしているのだろう。
バス車内は空いていたので快適だったけれど、アスファルトがひどく揺れも酷かった。乗り始めてすぐに「吐くかも」と言う不安が腹の底の方からやってきた。飛行機でルクラまで行くべきだったか、と後悔した。
吐くか吐かないか、というギリギリのところで戦っていたが、しかし1時間も乗れば慣れ、その後は何の問題もなくなった。白人トレッカー2人も同じ様な状況だったようだ。
またバスは僕の感覚で、1時間半に1回はトイレ休憩があった。
ジョンとウォーリー
僕をバスターミナルで助けてくれた白人のトレッカー、ジョンとウォーリー。道中で彼らと仲良くなった。彼らはアイルランド人。初めて出会ったアイルランド人で、歳は30手前くらい。二人とも大柄でガタイが良く、髭がすごい。外国人は見慣れてるつもりではいたが、彼らの外人感は半端じゃなくインパクトがあった。初めて外国人を見た江戸時代の人の気持ちが少しわかった気がした。
赤毛がジョン。赤毛はアイルランド人の特徴らしい。そして赤毛じゃない方がウォーリー。様子を伺っていると、どうやら彼がリーダーの様だ。
彼らは、極めて少ないであろうジリからのトレッカーで、僕はジリからルクラまでの道のりがひどく不安だったので心強かった。うまくいけば一緒に歩けるかも知れない。
ネパールのバス・カオス
バスの旅はそれはそれは面白かったが、話しが長くなりそうなので短くする。
はじめは空いていた車内だったが、途中から混み出し、最終的には通路も人でいっぱいになった。山道のカーブとでこぼこは非常に激しく、席を交換した女性は窓からゲロを吐いた。僕は水をあげた。しばらくすると反対側の赤ちゃんを抱いた女性も耐えかねて通路にゲロを履いた。僕はティッシュを渡した。それでも容赦なくバスはガコンガコンと上下左右に揺れる。通路に立っている女性が必死に体を支える。その体を支える浅黒くて肉付きの良い腕がたくましく感じる。
そんなぐちゃぐちゃな車内を乗務員がむりくり移動し、乗車賃を回収しつつ各所にゲロ袋を配る。ふと下をみると、座席の下に置いた僕のザックはみなの足置きになっているし、ゲロまでついている。そしてバスは「パラリラパラリラパラリラ~」と最高に派手なクラクションをムダに鳴らしながら山道を爆走する。そして突然車内に大音量でネパールの音楽がかかりだすと、もうそこは何が何だかわからない世界で「これがネパールか!!!!!」とネパールに歓迎された様で嬉しくなった。
ひどい状況ではあったが、僕はかなり楽しんだ。混乱の車内を流れる時折の冷たい風が心地よかった。これが旅だ、と思う。
バス旅の後半、僕ら3人は座席を年寄りや女性に譲り通路に立っていた。というか僕は席を譲る気などなかったけれど、ジェントルメンのジョンとウォーリーが譲ったため、日本代表として席を譲らなければならないと思った。
そんな中、ウォーリーの提案で僕らはバスの屋根に登ることにした。屋根は振動が激しく尻も痛いし落ちないようにするのが大変だったけれど、とてもとても気持ちが良かった。混沌とした車内に比べれば遥かにましだったし、バスの屋根に乗って旅をすることで心も気分も若返った気がした。
無事にジリに到着すると、タイミングよく来ていたシバラヤ行きのバスに乗った。ここから道は最高にひどくなったが、僕らは再びバスの屋根に登り景色を楽しんだ。通りすぎる小さな村々はどこか昔の日本をイメージさせた。涙が出そうなほど美しかった。150ルピー。
美しき小さな村「シヴァラヤ」
シバラヤは大きな沢沿いにある、静かで小さな村だ。数件のロッジ、いくつかの商店がある。ひと目でここが気に入った。歩いているとお店の人に声をかけられたので、僕ら3人は「シバラヤロッジヒルトン」に泊まることにした。
運よく3ベッドの部屋があり僕らはそこを選んだ。2つの適度な大きさのシングルベッドと、極めて小さなシングルベッド。空気を読んで率先して小さなベッドを選んだ。
夕食は定番のダルバート。そして大きなポットの紅茶。同じものを頼んだ方が店の人は楽だろう、という考えが僕らにはあった。ウォーリーはすごく社交的で、宿の人に話しかけてはネパール語を教えてもらいメモに取っていた。僕は日記を書いた。
食事中、「明日から3人で一緒に歩かないか?」とジョンとウォーリーが僕を誘ってくれた。ルクラまでのトレッカーの少ない道中が不安だったのですごくありがたく、もちろん僕も一緒に歩きたいと応えた。そして我々はチームになった。
カトマンズから約10時間。200キロ?離れた山の中の小さな村、シバラヤ。静かで、空気も澄んで美味しくて、川があってフレンドリーな人々で、何もかもが素晴らしい。ここに来て、ここで過ごすだけでもじゅうぶんに旅行だ、と思う。ここから先に進む必要があるのだろうか。
夜、寝る前。沢沿いで少しの間過ごした。
たくさんのホタルが飛んでいてキレイだった。