初心者のための登山とキャンプ入門

初心者の赤岳 雪山登山の日記

赤岳の山頂付近とヤハケン

迷子からの出発

2012年1月23日午前10時過ぎ。八ヶ岳山荘のある美濃戸口の駐車場で、僕らは車のタイヤにチェーンを付けた。ここから先の赤岳山荘の駐車場へ向かうためだった。
チェーンを取り付け再出発するも、そこから3分も走れば車は前に進まなくなった。タイヤが氷の上をキュルキュルと滑っている。
「プリウスじゃだめか」とヤハケンは言っていた。
八ヶ岳山荘に戻ると、僕らは諦めてここから歩いて赤岳山荘に向かう事にした。山と高原地図の参考タイムは1時間となっている。今日の歩行時間は予定で2時間、あわせても3時間だから問題はないだろう。雪道だから参考タイムからはかなりのずれがあるだろうが、時間にもまだ余裕がある。
カッパを履きゲイターを履き、がっちりとした装備に身を包み、記念撮影をしてから美濃戸口を出発した。初の雪山だ。

美濃戸口でリポDを飲むヤハケン
リボDを飲むヤハケン。僕ももちろん飲んだ。

そして我々は早速迷子になった。
赤岳山荘の前にはメインの道路、バスや車が登ってくるための道路があるのだけれど、それをそのまま僕らは登ってしまったのだ。この道は別荘地へと続く道路で、もしくは阿弥陀岳を目指すための御小屋尾根への登山口へと続く道だった。ろくに地図も確認せずうろちょろしていたら30分ほど時間をロスした。iPhoneのGPSアプリ「DIY GPS」に予め入れてきた地形図も赤岳山荘からのもので役に立たなかった。出だし好調。僕とヤハケンらしいスタート。結局、本来進むべき道は八ヶ岳山荘の目の前から出ていた。

そこからは凍った道路の上をてくてくと歩いた。本格的に雪や氷の上を歩くのはこれが初めてだ。足が滑ったり、雪に足をとられたりして歩きづらく余分な力を使ってしまうし、汗をかく。どの雪の上を歩くのが歩きやすいのだろうか、とか考えながら歩いた。「普通の登山と変わらないでしょ?」とヤハケンが言っていた。「そうだね」と言いながら「そうかな?」と心の中で思っていた。

道路はゆったりとした坂道が続いた。車道とは言え登りやすい角度ではあるのだけれど、どうしてもまだ凍った道を歩く感覚がつかめない。このままだと足がもたないかも知れない、アイゼンを出そうか、とかひたすら考えていた。楽しくはない。そして赤岳山荘に到着。正式に美濃戸口を出発して50分後だ。やっぱりペースは早かった。

赤岳山荘で登山届を提出すると一服を入れる。そして僕はアイゼンを履いた。今回のために購入した初のアイゼン、グリベルの「エアーテックニュークラシック」。クロモリで12本ヅメのアイゼン。赤岳山荘までの氷の道で少し僕は参っていた。これ以上無駄に筋肉を使うのならアイゼンを履こうと思った。

そして数分後アイゼンを脱いだ。もうちょっと氷の道が続くのかなと思っていたら、瞬間的に本格的な登山道に変わった。寒い中ヤハケンを待たせるのは申し訳なかったが、まあしょうがない。なんてたって初めてなんだ。

北沢と南沢の分岐に到着する。僕らは予定通り南沢を選んだ。個人的にはトレースのしっかりしていそうな北沢を歩きたかったのだけれど、先頭を行くのは今回ハードな登山を望んでいたヤハケンだし、見た感じ南沢にも歩きやすそうなトレースがありそうだった。雪の降り方次第では北沢への変更を考えていたけれど問題はなさそうだ。

南沢で92%の体力を失う

八ヶ岳南沢の登山道

南沢の樹林帯を歩く。狭いトレースを、登りやすそうな足場を選んで歩く。この道ならアイゼンはいらない、早めに外して良かったな、と思った。さっきまでの氷道とは違って、多少雪もふかふかとしていて歩きやすい。登山道は樹林帯に入ったり、たまに広々とした沢に出たりした。事前にカシバードで調べた感じだと、阿弥陀岳をたまに眺めながらの登山になりそうだったが、ガスも多く上空は真っ白で何も見えなかった。たまに雪がちらついた。

ペースが早い。美濃戸口から赤岳山荘までの50分も早かったが、相変わらずヤハケンのペースは早く、夏の高尾山を登る様なスピードだった。ヤハケンは「ペース早い?」「こんなもんでいいかな?」と声をかけてくれる。俺は「うん、大丈夫だよ」と応えるが、心の中では「早すぎだろおい、こんなんでもつのか?あとでバテるだろうよ。いやでも待てよ、ヤハケンは自転車で毎日通勤し、ボルダリングやクライミングのトレーニングを日々行い精進し、たまにはランニングし体力をつけている。それに比べて俺はどうだ。ランニングをしては膝を痛めて中止し、サイクリングも寒いからと言ってやっていない。夜な夜なリフティングをしているだけじゃないか。このスピードが努力の差だろうか。努力をした人としない人の差だろうか。まずいな。暑い。息が切れる。やばいな。いやちょっと待てよ、どう考えたってこのペースは早すぎる。雪山でこのスピードはありえないだろう。絶対ヤハケンは後半ばてるだろう。いやバテるはずだ。よし、それまでくらいついてやる。ふふふふふ。」と、そんな事を考え続けていた。
またそれと同時に、僕は「道のありがたさ」について考えていた。「こうやって雪山を登っているけれども、トレースがあるおかげで僕らは快適に歩けるのだ。トレースがなければラッセルをしなければならないし、しかもこの道で疲れている程度なら行者小屋に辿りつけないだろう。先人たちが道を作ってくれたからこそ行者小屋に行けるのだ。いや、雪山じゃなくても夏山でもそうだ。初めに道を切り開いた人々がいるのだ。そのおかげで僕らは穂高に登って綺麗な景色を眺める事ができる。いやいや、山じゃなくても街でもそうだ。みんなが道を作ってくれたおかげで、こうして僕達は買い物ができ、人に会う事もでき、旅をすることができる。」と、そんな事を考え続けていた。要は疲労と変わらない雪景色でトランス状態になっていた。

八ヶ岳南沢の登山道2

そんな中ヤハケンは陽気に話したりたまには歌ったり、楽しそうに登山をしていた。ヤハケンの前方にはアルプスのお花畑が見えたくらいだ。そして僕も負けずと歌を歌い笑い、ゴキゲンな振りを精一杯した。

そしてヤハケンはバテ、僕もバテた。

それでもヤハケンは元気そうだったけれど、見ていると疲れているのがわかる。休憩も多いし、IphoneのGPSで現在地とゴールを確認する回数が増えている。また山でよくなる症状、「あそこを曲がれば山小屋病」にかかりつつあるように見えた。
僕はと言えば完全にバテていた。もうとにかく足が重い。太ももの裏辺りがガチガチになっていた。足を一歩前に出すのがしんどくって全体重を前に傾けながら進む。そんな登り方をしていた。こんな風に二人ともバテるのなら、つまらない男の意地をはらず「ペースを落とそう」と言えば良かった、と思った。また、いつもの「重いザックを背負うと頭が痛くなる病」が発病し、たまにキンキンと頭痛がした。好んで雪山に来る人は良い意味でバカだな、と思った。初めて雲取山を登った時の様な疲れ方だった。
南沢は、美濃戸中山の山頂から真南の位置辺りで、地図上では傾斜が緩くなる。が、僕にはちっとも楽にならず、辛さは時間が経つにつれ増していった。
そしてボロボロになり、やっとこさっとこ行者小屋にたどり着いた。赤岳山荘から3時間。カシミールを使い行者小屋までは2時間27分とふんでいたが、大幅に遅れる事となった。

八ヶ岳南沢の登山道3
行者小屋に近づくと、南沢は開けた沢沿いを歩く。

行者小屋はカシミールの「カシバード」(バーチャルな視点で、登山道を歩いたり山にも登れて、景色も見える)で予習してきたのは違って、こじんまりとしたスペースに建っていた。と言うのもカシバードには木が無いから基本的にどこもかしこも広々として見えるのだ。でもやっぱりカシバードはすごいと思う。どこに阿弥陀岳と赤岳があって、登山道はどっちに登ってってのがすぐわかる。そんな事に感心をしながらも、僕らはテントを張り、身支度をしなければならない。僕が「92%の体力を使った」とヤハケンに告げると「うん、92%だね」とヤハケンも言っていた。

行者小屋の思考

八ヶ岳、雪の中の行者小屋

行者小屋には僕ら以外に誰もおらず、テントを張る場所を好きに選ぶ事ができた。
ヤハケンのエアライズ1を適当な場所に張り、二人のザックを突っ込み、そしてヤハケンも入る。そしてヤハケンが「びっくりするくらい狭いよ」と中から言う。そして僕も入る。びっくりするくらい狭い。ただしい表現だ。

テント内は、何もしたくなくなるくらいに狭かった。心が折れる一歩手前の狭さである。普通に座れば天井に頭をぶつけるので腰を丸めなければならなくて痛いし、二人の登山靴もテント内に入れたので、個人のスペースはかなり少ない。この中で僕らは身支度をしなければならなかった。こんな狭いんじゃ火も使えない。
僕はシュラフとシュラフカバーを出しそれらを組み合わせ、それから下着以外の履いているものを全部脱いだ。下着の上にはCW-Xのタイツを履いていたが、それを脱ぎたくて仕方がなかったのだ。脱ぐズボンはカッパ、登山用ズボン、タイツ、そしてCW-X。普段ならなんてこともないが、こんだけ中が狭いと大変である。しかもグローブやサングラスや何かの袋など、細かいなんやかやが辺りに散乱していて現状を把握できない。とてもストレスフルな状況だった。
ヤハケンも僕同様、狭さゆえやりたい事が出来ない状況に「ヌワー!」となっているようだった。お互い「ヌワー!」となった。「何だかテンションあがってきたね、楽しくなってきた」とか話した。本当に、今まで味わった事のないくらいテント内は狭くて、そしてモノでとっちらかっていた。ゴミ屋敷状態だった。

防寒着に着替え何とか荷物の整理を終えると、僕はとりあえず寝袋の中に収まってみた。色々なモノがもしゃもしゃしてストレスフルだけど、安定感がある。そして動けなくなった。ヤハケンもどうにか寝袋に入る事ができた。そして動かなくなった。仮眠。

行者小屋の思考 ① - 明日の赤岳やめようよ -

寝袋の中ではしっかりと寝る事ができずうとうととしていた。うとうとしながら僕は明日の赤岳登山について考えていた。明日の赤岳ピストンは無理なんじゃなかろうかと。だってヤハケンはどうかわからないが、僕の疲れ方はひどい。というか、疲れより雪山歩きとこのストレスフルな環境で気力がなくなった。明日の朝またここから準備して赤岳に登って降りてきて荷物をパッキングして、なんて事は想像できない。もうこのまま赤岳に登らずに帰って来るのもありなんじゃないだろうか。だってはじめからそう言う話しだったし。僕は体力に不安があったから、行者小屋で様子を見て、大変そうなら赤岳に登らない、と。まあそれでも良いだろう。明日ゆっくり起きてゆっくり御飯食べて、ゆっくり下山して、温泉入って美味いものを食べて帰る。それでいいじゃないか。そしてうとうとして寝た。

行者小屋の思考 ② - ラーメン作るのをやめようよ -

目を覚ますと状況は何も変わっていなかった。うとうとしながら僕は食事の事を考えた。もうそろそろご飯の時間だとは思うけど、面倒だ。動きたくない。寝袋から這いでてテントから這いでて、そして寒い夜空の中でお湯を沸かすなんて狂気の沙汰だ。もうテントの中で乾き物を食べて寝てしまえばいいじゃないか。行動食やパンはまだ明日の分も充分にある。今日はこれを食って寝てしまおう。水もなんとかなるだろう。少ないけれど、下山をするくらいの水はある。そして明日帰ろう。と、明日の赤岳登山が面倒になっただけでなく、飯を食うのも面倒になった。
そしてそんな事を考えていたら腹が減ったので何かを食うことにした。

ご飯を探そうとザックをごそごそとしているとヤハケンが目を覚ました。僕は間食用に持ってきたヤマザキの薄皮クリームパンを食べ、ヤハケンにも与えた。ニッセイの魚肉ソーセージを食べ、そしてそれもヤハケンに与えた。こうすれば、「外でお湯を沸かそう」なんてヤハケンは言うまい、と言う作戦だった。彼の腹を満たしてしまえば良いのだ。
そして提案する。「外でお湯沸かすの面倒じゃない?ラーメンはやめようぜ」的な事を僕は言った様に記憶している。YesともNoともヤハケンは応えていなかった様に思うが、ヤハケンは確実に「何いってんの、外に出まっせ」と、受け取れる動作をしていた。そして僕も諦めて外に出ることにしていた。「じゃあとりあえずラーメンは食べよう」、と。 僕の作戦は失敗した。

テントの外に出るような靴がなかったので、テントシューズにコンビニの袋を履いて出ることにした。まあこれが、外に出るのが億劫になった理由の1つでもある。
外はもう完全に日が落ちて真っ暗だったけれど、出てみるとテントの中よりずいぶん気持ちが良くいくぶん気分も晴れた。ドラゴンフライもご機嫌が良くお湯も簡単に沸いた。ラーメンもうまかった。そしてお湯を沸かして水を作るとテントの中に戻り、しばら談笑し、そして寝た。

行者小屋の思考 ③ - すでに反省会 -

寝袋の中でウトウトとしながら僕は反省していた。初の雪山でテント泊は無理があったんじゃないだろうかと思った。まずは山小屋を利用して装備を軽くして、食事も出してもらってってのが、もっとも簡単で、しかも気持ちの良い登山ができる方法ではなかっただろうか。
もう1つ、準備が甘かった。どこに何を入れる、どこに何をしまう、ってルールを事前に作るべきだった。テントが狭くても、目をつぶってでも物のありかがわかるように。計画が甘かった。
そしてもう1つ。装備。雪山では装備に金を使っても良いなと思った。なるべく金を使わない様に、あるもので済まそうとしているから色々なところで不便がでる。色々な物事が煩わしくなってストレスになる。雪山ではなるべくシンプルかつ効果的な装備と工夫が必要だと思った。そのために金を使うのは良いことだろうと思った。そしてウトウトして寝た。

何時頃だっただろうか、足が寒くて目が覚めた。もぞもぞとしているとヤハケンも起きた。起きたのか起きていたのかはわからない。ヤハケンはトイレに行ってタバコを吸うと言う。僕もこれはチャンスと思い外に出ることにした。ヤハケンを起こさねば外に出ることができないのだ。
外は寒いが風もなく過ごしやすかった。そして山の稜線のシルエットの上には無数の星が輝いていた。こんなに綺麗で沢山の星を見たのはいつぶりだろうか。ふと宮古島の「砂山ビーチ」を思い出した。僕は23歳だった。あの時は夏の静かな夜で、友人2人と三線を弾きながら歌い、語り、星空を眺めていた。流れ星を見た回数を数えながら、以前起きた砂山ビーチの殺人事件の話を誰かがした(真偽は不明)。そんな話をしていると、遠くの岩陰から女性の笑い声がした。そこは人がいるとは考えられない場所だった。我々は慌ててそこから逃げた。あれは素敵な夏だった。そして今僕は極寒の中にいる。青春だ。

行者小屋での思考 ④ - やっぱり登ろうよ -

テントに戻り、ヤハケンに「明日は赤岳はやめて下山しようよ」と提案した。ヤハケンの答えは「起きてから考えましょ」という事だった。確かにそうだな、起きてから考えよう。そして寝袋に潜り込みひたすらじーっとしていた。
寝袋の中でじーっとしていると、ふと自分が元気な事に気づいた。行者小屋についてからほとんど寝っぱなしだからだろうか。はて、心も体も元気なようである。筋肉痛もない。そしてよし、明日は赤岳に登ろう、と言う気持ちになってしまった。「気分屋だなあ、ヤハケンに怒られそうだ」と思ったけれど、登りたくなったのだからしょうがない。まあとりあえず今は寝て、彼の言う様に明日になったら本気で考えよう。今夜どれほど雪が降るのか、明日は赤岳に登る登山者がいてトレースがしっかりしているかどうか、天気はどうか、それを見てから考えるとしよう。そして寝た。

赤岳登山

行者小屋前のテンバとエアライズ1

翌朝、ヤハケンがテントから出ていく音で目が覚めた。2度寝をしてやろうと寝袋の奥深くまで潜り込んだが、テントの外のヤハケンや他の登山者の会話が気になり、2度寝は成功しなかった。そして外にでた。
ヤハケンはアルコールストーブでお湯を沸かしていた。ヤハケンの顔は覚せい剤が切れて3日目でっせ、と言うくらい白く、そして不機嫌そうだった。話しかけづらい雰囲気だったが、コミュニケーションをとろうと思い「寒いね」と声をかけると、「寒いよ、お湯沸かしてたし」とキレられた。なぜだ、とキレられる理由を色々と考えていたが、雲ひとつない青空、阿弥陀岳、赤岳と横岳を見ていたらそんな事はどうでも良くなった。昨夜の降雪は少なかったし、文三郎尾根へのトレースもしっかりしてそうだ。我々の先を行くであろう登山パーティも数組いるようだ。そして恐る恐る「やっぱり赤岳に登ろう」とヤハケンに告げた。そして僕らは赤岳に登る事を決めた。もう一度言わなければならない、僕は気分屋だ。

文三郎尾根へ出るまではしばらく樹林帯を登った。ヤハケンの歩みは昨日同様速かったが、僕は昨日ので懲り、マイペースで歩く事にした。彼のペースに惑わされてはならない。僕とは登り方が違うのだ。そして今日は美濃戸口まで下山することも考えなければならない。
赤岳と阿弥陀岳の分岐点を過ぎると登山道の傾斜はきつくなった。僕は強引に登らない様、ステップを丁寧に作って登る事を心がけた。キックステップ一発で登ろうとするとふくらはぎが疲れてしまうので、数回雪の斜面に蹴りを入れて上等な足場を作ることもあった。雪山の本に書いてあった様に、右足はキックで左足はフラット、そんな感じでゆっくりと登った。右足が疲れると今度は左足を使った。

八ヶ岳の文三郎尾根 冬
ヤハケンの視線の先が御小屋尾根。

文三郎尾根を一歩一歩登るたびに、見える景色が変わってゆく。振り返ると僕らが過ごした行者小屋が見える。真っ白な地面にオレンジ色の、エアライズ1のフライシートが見えた。素晴らしい天気だ。赤岳に登る事にして本当に良かった。そしてまた登る。

不思議なヤハケンのあしあと

八ヶ岳の文三郎尾根 雪山

相変わらず僕は階段を登る様丁寧にステップを作って登った。ヤハケンの踏跡をトレースすれば簡単なのだがそうは行かない。彼と僕とは根本的に登り方が違うのだ。
後ろから見ていると良くわかるのだけれど、彼の登り方はクライミングでスラブを登る時の登り方で、体を思いっきり前に倒し足首をぐっと曲げて、足先で雪を掴んでいる。なので一歩一歩が大きいと言う事が1つ。そしてもう1つ、彼の踏跡は足先部分だけで、しかもちょっとしかへこんでいない。踏み跡の角度も山の傾斜とあまり変わりがない。もちろんところどころ深く踏まれている箇所はあるのだけれど、足跡が消えここから先にどうやって登ったのだろう、と思う事もあった。また試しに彼の登り方をマネをしてみたが、ボフっと雪に足が埋まるばかりだったし、登山靴のベロが邪魔をして踏ん張ることができなかった。きっとこの登り方が出来るのは、今回彼がトレラン用のシューズを履いて来たって事もあるし、ボルダリングで鍛えてきた脚力があるからだろう。感心した。なぜだか、水面を歩くシシ神(もののけ姫)の姿が浮かんだ。

御小屋尾根にぶつかる手前でバケツを作って休憩をした。
休憩があるとヤハケンはサーモスに入れてきた熱い紅茶をくれるのだが、飲みながら、どうもヤハケンの視線を口元に感じてしまう。「空気よめや」という顔をしているヤハケンが視界に入っている気がする。気がするだけなんだけど、僕は常に一口しか飲まない様に心がけた。考え過ぎだろうか。今度一気飲みしてやろう、と思った。

阿弥陀岳と赤岳の分岐より赤岳を望む
阿弥陀岳と赤岳の分岐より。ヤハケンの後ろに見えるのが赤岳の山頂。

阿弥陀岳から続く、長い御小屋尾根にでた。この分岐を右にゆけば阿弥陀岳、そして左は赤だけだ。眺望は一段と素晴らしくなった。風も多少強くなった。登山道にふかふかの雪は少なく凍っており、またその氷は風に削られた形をしている。この場所は風が強いのだろう、と言う事が目でわかった。岩もところどころ露出している。そして見上げると赤岳の山頂が見えた。

完全に凍っていると思った尾根には多少の雪がつもっていたし、また広くて歩きやすかった。急な文三郎尾根も終わった。力をセーブして登ってきたので全然疲れてないし、筋肉の疲労もない。万全である。そしてここからが今日のメインイベント。テンションがあがってきた。まずは先にある大きな岩を目指す。そしてそれをまいたら頂上だ。
サクサクとアイゼンの音と風の音と自分の息遣いを聴きながら登る。楽しい。なんてたって、もうキックステップをする必要なんてないんだ。いつもの様に登るだけでいい。荷物も軽い、ひゃっほうなんて思っていたら、口元が異常に寒い事が気がついた。寒すぎる。ネックゲイターがないなあなんて首元を触っていると、通常は長さ20cmほどあるネックゲイターが凍って2cmほどに固まっていた。ほんと、何でも凍るなあ。帽子も凍るし、サーモスのボトルも凍って開かないし(お腹に入れて温め中)、ネックゲイターもドラゴンフライもテントもサングラスも鼻水も何もかも凍る。氷の世界。そう言えば井上陽水が氷の世界を歌っていたな。いや、あれは都会の寒さか。まあどちらでも良い。凍りたければ凍ってしまうが良い。はじめは凍るのが嫌だったけど、今は受け入れる事ができる。こう言うもんだと。風もそう。風は試練を与えるけれど、時に応援もしてくれる。その昔、自転車旅ではずいぶん風に悩まされたけど、途中から受け入れる様になったし、好意を持つようになった。雪と氷と寒さと早く仲良くなりたいな。そんな事を考えながら、山頂へのわずかな道のりを進んだ。

赤岳山頂 核心部分は

八ヶ岳の文三郎尾根 雪山

赤岳の山頂を目指してまきはじめると、岩が露出したパートを歩く事が多くなった。それと同時に、雪が深く積もり歩きにくい場所もあった。風も場所によっては強かった。でもどの危険箇所にも鎖が用意されているし、ヤハケンが先頭を行っているので雪庇を踏みぬくとかそんな怖さは全くなかった。アイゼンもしっかりと地面を捕らえているし、そして想像以上にピッケルが役にたった。手がかりが無くて登りにくい場所でも、岩をピッケルで引っ掛ければ安全に登れるし、鎖が雪の下に行ってしまっている場合でも、それをピッケルで引っかけて登ってしまえば良かった。僕の場合グローブに信頼を置いていなかったので、岩や鎖を掴む場面では極力ピッケルを使った。あまりにもピッケルが役に立ったので、2本あったら良かったのにな、と思った。

赤岳でピッケルを多用してみる
赤岳の山頂付近とヤハケン

ということで、警戒していた御小屋尾根から赤岳山頂への登山道に難しいところはなかった。感覚としては夏山と同じ。慎重に進めばまず問題がないと思う。しかし天気も悪く風も強ければ感じ方は変わるだろうとは思う。そして赤岳の山頂へと到着した。

天気の良い山頂からは、大げさだけど何もかもが見渡せた。南の方では富士山が雲から頭を出していたし、先程まで同じ目線の先にいた阿弥陀岳の山頂もここからは見下ろす事ができる。そして山頂に到着して何よりも嬉しかったのが、横岳方面、北の方角の山々の名前を全て言える事ができたこと。雪山に行くって言うんでiPhoneにGPSアプリを入れて、それにはカシミールが便利だって言うんでカシミールをパソコンに入れて、そしたらカシミールが案外面白くてついついカシバードで赤岳の山頂に登って、そこから見える山を調べて遊んでたんだけど、その時カシバードで見ていた景色と、今見る景色が同じ事に感動した。地形図の裏にカシバードで作った景色をプリントしたものを入れてきたんだけど、それと見比べても同じだった。権現岳方面も見比べたけどやっぱり同じだった。テクノロジーとカシミールの素晴らしさに感心した。
赤岳の山頂は見晴らしが良かったけれど、風が強くて寒かった。誰もいない山頂なんて滅多にないことなんだから、ゆっくりコーヒーなんか飲んでのんびりとしたいところなんだけど、写真を撮って訳のわからないムービーを撮影し早々に立ち去った。ちなみにコーヒーなんか用意していない。
いやー、しかし赤岳に登る事にして本当に良かった。こんなに簡単に登れるんだもの。これを登らずに下山していたらどうなってたかな。それはそれで楽しかったろうとは思うけれどね。のちのちの気分が違うだろうね。

赤岳の山頂

地蔵の頭をピッケルで叩く、ヤハケン滑る

赤岳展望荘あたりから赤岳を望む
赤岳展望荘辺りからの赤岳。

展望荘に向かって稜線を下る。展望荘を過ぎてしばらくして現れる尾根が地蔵尾根。そこを下って行者小屋へと帰るのだ。
うん、下りは全然らくだ。凍り付いている登山道を下るのならそれはとても怖い事だと思うけれど、山頂からの登山道はほとんどふかふかの雪だった。なのでボフボフと元気に下った。誰かが雪山は自由だ、なんて事を言っていたけれど、そんな気持ちもわからないでもない。僕は稜線を自由に下っていた。歩くべき道は全て雪の下にあって、僕は歩きたい所を歩けば良かった。そして見る限りでは、今この稜線にいるのは僕らだけ。こんな天気の良い日に山を独り占め、いや二人占めか?まあいいや、とりあえず贅沢な気分だ。
時折ものすごい突風が吹いた。キラキラした細かい雪が顔面に突き刺さって、まるで雨の中時速50キロでバイクを走らせている気分だった。よしサングラスだ、と思いサングラスをかけるが数秒で凍る。うん、持ってこなきゃ良かった。今までで合計5分もかけていない。

地蔵尾根から行者小屋を望む
地蔵尾根。地蔵の頭と行者小屋の中間あたり。

赤岳展望荘で軽く一服し、少し先の地蔵尾根を下った。地蔵尾根はさらにふかふかの深い雪で下りやすく、僕らはどんどん降りていった。ところどころ雪が深すぎて足が抜けないところもあり面白かった。階段が数カ所あってそこら辺りの地面は凍ってるし急な道だったけれど、手すりや鎖もあり安心して下れた。下り道も相変わらずピッケルを多用していた。あまりにも気に入ってしまい、ピッケルで色々なものをコンコンと叩きながら下っていたが、気づかずに地蔵の頭をコンコンと叩いてしまい気分が悪くなった。
そう、あとで聞いた話だけど、地蔵尾根は下りで滑落事故が多いらしい。そう言えばヤハケンが階段の手前でしゃがんだ時に、スー、っと綺麗に滑っていった。滑り台みたいに。1mくらい滑ると彼は階段の手すりをキャッチしていた。シリセードがやりたそうだったので、それをやっているのかなあ、なんて思って見てたけど、どうやら普通に滑ったらしい。手すりがなかったら行者小屋まで転がっていっただろう。滑落していたら「地蔵の呪い」としていたに違いない。まあそれにしてもヤハケン、相変わらず見事である。
そしてそんな凍った急斜面は長く続かず、地蔵尾根は樹林帯になり、またボフボフと雪を踏んで下った。それにしてもトレースが少なくて雪深い道である。この日地蔵尾根を利用した人はいなかったのではなかろうか。地蔵尾根から登っていたとしたら大変な事になったろう。
そしてあっという間に行者小屋へ到着。荷物をまとめると美濃戸口へ向け出発した。天気の良い暖かい午後の行者小屋だった。

雪山の感覚

ヤハケンがシリセードにトライ
シリセードにトライ。

いつもの登山の様に、下りはひたすらに下る。荷物も軽くなったし、しかも今回は雪を歩くので膝にも優しい。すこぶる快適な下山。時に歌い時に気合を入れあいながら道を下った。ヤハケンとの登山は久しぶりになるけれどやっぱり楽しい。僕は山登りをする度に頭が幼児化してしまうが、彼はそれを気にしないし、むしろ彼も幼児化する傾向にあると言える。こんな姿を晒す事が出来る人と登山ができるというのは素晴らしい事だと思う。

日は山の向こうに沈みはじめ僕らの影は長くなっていった。空の色が変わってゆく。赤岳山荘を過ぎてしばらくすろと、辺りは薄暗くなり始めていた。夕暮れ時の山歩きも悪くない。寂しい感じもするけど、懐かしくもある。どこからか「遠き山に日は落ちて」が聴こえてきそうな気がする。早く家に帰ろうと思う。

5時過ぎに美濃戸口へと到着した。濃ゆい2日間だった。
何よりもまず無事に下山できたのが嬉しい。はじめての雪山、しかも2800メーターを登るイメージを持てなかったし、出発前には家族みんなを心配させた。「下山できたよ」、と報告できてとても嬉しかった。
そして紆余曲折あったけれど赤岳にも登れた。これもヤハケンのおかげである。あの時行者小屋でヤハケンが動かなかったとしたら、翌日の水が無く赤岳登山を断念せざるを得なかったかもしれない。まあきっと、僕一人だったら登らずに下山していただろう。

美濃戸口にて出発前
美濃戸口にて下山後
登山前と登山後、ビフォーアフター。

帰りの車内、頭はまだ赤岳山頂付近だった。僕は雪を踏む音、風の音と呼吸の音、岩と雪と空の色を感じていた。そしてそれらを、日記を書いている今でも感じる事ができる。雪山の感覚。そしてまた、岩と雪と、少しの緊張感がある山に登りたいと思っている。