DAY14:ついに5000m・ゴラクシェップ。荒れた景色と不穏な空気。
2014年10月22日。
夜中、体中が熱くなってダウンパンツやダウンジャケットを脱いだ。それと同時に呼吸がうまくできないことに気がついた。空気を吸っても吸っても少ししか入って来ず、体の中の酸素が足りなくて苦しい。陸にあがった魚の気分だった。あまりにも辛く、このまま荷物をまとめて標高の低いところへ駆け下りようか、と真剣に考えたほどだった。
また「自分は空気の薄いところにいる。普通ではないところにいるのだ。」と考えると余計に苦しくなった。ヘリコプターでレスキューされる自分の姿を想像した。こんなところからいち早く去りたいと強く思った。それくらい苦しかった。
高山病かも知れないと思い、とりあえずダイアモックスを飲んでみた。するとその後は落ち着き、また眠りに落ちた。
今日はレストの日のはずなのに
翌朝、ウォーリーが朝ごはんだよと部屋をノックしてくれた。そして僕は目を覚ました。
ドアを開けると、出発の準備が整いやる気に満ち溢れたウォーリーの顔があり僕は慌てた。今日はレストの日だったはずだ。けれど、見るからに彼らは先へと進む雰囲気だった。これは阻止しなければならない。昨晩、僕は山を下りようと思ったくらいしんどかったのだ。僕の状況を説明せねばならない。
ジョンとウォーリーの部屋に入る。すると既にパッキングは終わりに近づきあり、心なしか彼らの顔もいつもよりエネルギーに溢れている。ジョンはリンとした表情で荷物をザックに詰め込んでいる。そしてウォーリーは「ベースキャンプに行くぞ!」とジョークを飛ばすくらいテンションが高い。元気だ。やる気まんまんだ。
しかし今日は高度順応のためにレストする日。それは前々から決まっていたことだ。そして昨晩僕は死にそうだった。なので僕は彼らに一生懸命訴えかけた。今日はレストの日のはずだ、そして俺は休みたい、と。
すると、とりあえず飯を食いながら話そうよってことになった。
僕が驚いたのは、今日の予定についての話し合いがあることだった。僕の調子が悪い、そして今日は以前からレストの予定だった。なので選択肢はレストしかないのではないだろうか。でも彼らは、「どうする?YOU次第だ」と朝食のパンを食べながら言う。「でも今日はレストってYOUが言ったっしょ?」と僕が紅茶を飲みながら言い返すと、「状況次第ではホニャララ~」的なことを返してくる。彼らはすごく元気そうで、先に行きたいという気持ちが目からビンビンでている。
僕も、絶対今日は休む、とは強く言えない。昨晩の現象が果たして標高によるものなのか、またゴラクシェップまではたった200メートルあがるだけなので、同じ様な症状になるかもわからなかった。何より、思ったよりも僕の調子は悪くなく、体力的には問題ないだろうと思ってしまっていた。行けるか行けないかで聞かれたら「行ける」と答えられる状況だった。行きたがっている人間を目の前にして「俺は絶対イヤだ!」と強く主張するほどの状態でもなく、それに、彼らからの圧力の様なものも感じていた。
それにしても、はじめからレストの日だったんだからレストでいいじゃないか。なぜに僕らの今日の予定について会議しなければならないのだろうか。ジョンはしっかりとエベレストトレッキングの解説本を読み込み、高度順応した方がいいってことだったから今日はレストの日になったんじゃなかろうか。なぜ、じゃあ今日は休もうぜ、とならないのだろうか。なぜ僕に、どうする?と聞いてくるのだろうか。僕が逆の立場ならレストにするだろう。相手の気持ちを汲み取ってあげられると思うのに。えーん。
そんなことをぶつぶつと思いながら、ゴラクシェップへの道をとぼとぼと歩いた。彼らと歩きたくなかったから距離を開けて歩いた。
我々が登山の遠征隊であるならば、僕はどう答えるべきだったろうか。僕は自分の状態をしっかりと分析し、自分の意見を強く主張すべきだろう。我々にとって何がベストかを考え選択すべきだろう。
でもここではそれは別の話しで、僕はただ寂しかったのだ。自分のことを何も考えられていない様な気がした。なので彼らとの関係も距離が離れてしまったと感じて落ち込んだし、イライラとした。
そんな風にあからさまに元気がなくなっている僕の様子を見て、やっぱり戻ろうか、と彼らは声をかけてくれた。大丈夫?今はどうゆう気持ち?と僕の心境を聞いてくれたけれど、僕は自分の気持ちを英語で説明するのが難しいと思ったし、果たして彼らに伝わるのか、理解してもらえるのかと不安だった。なので「二人が突然予定を変更したことに対して怒っている。俺は子供っぽいのだ。でもしばらくすれば元気になるよ。体調は問題ない、ゴラクシェップまで歩ける。」と適当な返事をした。
そしてその後もモンモンと、あれやこれやを考えながら歩いた。景色などは目に入ってこない。
標高5000m越えで体調は最悪
風もなく、また寒すぎもしないので歩きやすい。
しかし、はじめは調子が良いと思ったけれど、突然、身体が異様に寒くなった。異様に。それに朝から変なゲップが出て胃が気持ち悪いし、思い返せば今朝も下痢だった。
そしてそのうちに身体を前に進ますことがしんどくなり、時折ふらつく事もあった。たぶん標高のせいじゃないだろう。新しい、悪いタイプの下痢かもしれない。最悪だ。
ゴラクシェップの目前辺りで数羽の風変わりな鳥に出会った。日本で言うと雷鳥の様な存在だろうか。身体がボテッとしており、ゲームの効果音みたいに「ポイン、ポイン」と安っぽく鳴く鳥だった。かわいいとは思わなかった。僕の調子の悪さは最高潮で、むしろ彼らの存在を不愉快に感じた。
宿につくとすぐさま布団に入ったが、全ての服を着て寝袋に入っても寒くて眠ることができなかった。そしてそのまま、時にウトウトとしながら夕食まで過ごした。
夕食の時間、ジョンとウォーリーに自分の病状を告げた。これは普通じゃない症状だ、寒すぎる、もしかしたらジアルジアかも知れないと。
すると彼らは僕のことをすごく心配してくれた。僕のために予定を変更するとまで言ってくれた。カラパタールでご来光を見るという予定も、僕がムリだと言うと快く受け入れてくれた。情けない、申し訳ない、と泣きたくなった。全ては僕が元気であれば何事もなかったのだ。 僕が元気であれば今朝の話し合いもなかっただろうし、カラパタールでご来光を拝むこともできたのだ。
相変わらず夜ご飯はダルバートだけれど、それはほとんど残した。
寝る前にはジアルジア用の薬を飲み、念の為にダイアモックスも飲んだ。
後日譚。ジアルジアの話し。
この時、ゴラクシェップでは高山病かジアルジアか、ただの下痢かとか全くわからなかったけれど、たぶんジアルジアだったんだと僕は思う。と言うのもトレッキング後も同じような症状になり、立ち寄ったマレーシアでかなり悲惨な目にあったからだ。(トレッキング中のジアルジアは軽めだった様に思う。)
そのかなり悲惨な症状とは。
2,3日胃が張った状態が続き「うまく消化できていないのかな」程度に感じる。そして下痢の前日には呼吸が浅くなる。そして翌日、水下痢になりトイレから離れられず、何か食べたり飲んだりすると、腸だけでなく胃もうまく働かなくなりお腹がガスで異様にパンパンに膨れ、タマゴ味のゲップが出続ける。(この様な病気になると、腸だけでなく胃酸がホニャララ、と日本の医者が言っていた。)。全て出しきれば下痢は終わる。
マレーシアのホテルでこの様な症状になり「これは絶対にジアルジアだ!」とガイドブックと自分の症状を照らし合わせて考えた。そしてカトマンズの薬局で購入したチニダゾールを飲んだ。すると翌日には回復に向かっている気配があった。
そこで調子に乗った僕は、失った体重を取り戻そうとドカっとごはんを食べた。すると振り出しに戻ってしまった。
しかし既にチニダゾールは飲みつくしていた。なので僕はその状態のまま飛行機に乗り日本へと向かった。機内食は恐る恐る食べたが問題はなかった。
日本に着いた。嬉しいなってことで和食をいっぱい食べた。機内食は問題なかったのだ、僕はもう治ったのだと思っていた。しかし、また振り出しに戻った。
どうやらそう簡単には治らないらしい、ということで諦めて内科に行った。医者は「これはヤバイやつだ」と僕を脅し、いくつかの薬をくれた。
そしてお粥とOS1生活が一週間以上も続くと、やっと普通のご飯が食べられる様になった。体重は3~4キロは減ったんじゃないだろうか。普通にご飯を食べられる幸せを知った。
ジアルジアの症状には軽いものから重いものまであるらしい。胃の調子がおかしいって言うだけで終わる人もいる様だ。たぶん、ゴラクシェップの僕は軽いジアルジアにかかっていたのだと思う。そしてトレッキング後は重いものにかかったのだ。