DAY19:航空券を求めてルクラへダッシュ
2014年10月27日
朝10時ころ。
ナムチェのすてきなベーカリーの奥の特等席で、鉛筆をナイフで削っている。昨日、日本から持ってきたボールペンのインクがとうとう出なくなったのだ。なのでベーカリーに立ち寄る前、商店でボールペンを買い求めた。
商店でペンがあるかと尋ねると、店のバイトらしき女の子が店主の指示を受け、ダッシュで坂を登ってどこかに向かった。そして息を切らしながら鉛筆を1ダースほど持って帰ってきた。「鉛筆じゃない、ボールペンだ」と言おうと思ったが、坂をダッシュして鉛筆を持ってきた女の子を苦労を無駄にできなかったし、自分が「ペンソー」と注文していたので今更間違えたとは言えなかった。しかも1本だけ鉛筆を買うのも申し訳なく感じ、ついつい2本も買ってしまった。
会計でえんぴつ代の数十ルピーを払う。ふと上を見上げると、大量のボールペンがぶら下がっていた。自分の英語力のなさと、甘さと、そんなことが身にしみる朝7:00頃のナムチェだった。
ルクラへ急げ
毎晩、雪は静かに降っている。誰にも気づかれない様に、密かに。
朝起きて向こうの山を見ると、昨日は目線の先より上にあった雪が、今朝は目線と同じところまできている。
朝になると溶けた雪が家々の屋根からこぼれ落ちる。確実に冬は近づいてきている。
昨日は悲惨な日で、夜飯はインスタントダルバートだったし、ホットシャワーはすぐ冷水になり死にかけた。そして朝、チェックアウトの時ホットシャワー代を請求されたことにもびびった。ロッジのじいさんは僕がガタガタ震えているところを見ているし、あんなの全然ホットじゃねぇ、と告げている。もちろん、宿の少年に確認したのでホットシャワー代は払わずに済んだが、気持ちの良いものではなかった。
そんな訳でロッジでは朝飯を食べず、ナムチェのメインストリートにある洒落たベーカリーでぶどうパンを食べアメリカーノを飲んでいる。あわせて600円ほどで、日本よりは高くついているだろうがパンがモチモチして美味しい。席のすぐ後ろでパンを仕込んでいるのだ。
僕がナムチェに生まれたら、確実にここで働いてパンを作りたいと思った。3400メートルで作る出来立てモチモチのパン「ナムチェパン」を名物として売りだしたいと考えている。
ベーカリーで少しの日記を書き終えると、ナムチェの山を小走りに下った。道の左右には大きな木々が立ち並び空を隠している。木漏れ日が作る地面の模様が懐かしかった。
ナムチェの山からルクラの山へ長い吊り橋を使って渡り、そこからしばらく下ると沢まで下りる。拓けてフラットで、小さな沢が流れている。そこで服とタオル、そして頭を洗った。
サイコーだった。やっぱり、僕は沢で頭を洗えるレベルの気温でないと生きていけないのかもしれない。それに外で頭を洗うと自分が野生化している気分になり、やけに楽しくなる。無駄に叫んだり、沢で魚を追いかけたりしたくなる。
ふと、ルクラに夕方までに到着できるだろうか、と思った。もし間に合うのだとすれば、明日の飛行機のチケットを買うことができるかもしれない。
ザックに洗濯物を括りつけ乾かしながら歩いていると日本人の男性に会った。
彼はかなり日に焼けており、聞くとメラに登ったあとこっちに来たようだ。しかしメラでは大雪のせいで腰上のラッセルになり、山頂を踏むことができなかったようだ。今年の天気はおかしいらしい。そして彼は、これからカラパタールとベースキャンプとゴーキョーを周ると言っていたが、メラのこともあり天気や雪のことを心配していた。僕がトレランシューズでも登れたよ、と言うと安心した様子だった。
トレッキング中に日本人にすれ違うことはめずらしいが、さらにめずらしいことに、お互い早い段階でお互いを日本人だと認識した。
昼飯を適当なレストランで適当にチャーハンを注文していると、ゴラクシェップで見かけたガイドがいたので声をかけた。ついでにルクラからの飛行機のことを聞くと、ここからルクラまでは3時間30分ほどで、翌日のチケットは15時から16時の間に買えると教えてくれた。また、「ロッジの人に言えばチケットの手配もしてもらえるのでなんとかなると思いますよ」と彼は流暢な日本語で教えてくれた。
食後、間に合うかもしれんと一路南へと急いだ。ザックにくくりつけた洗濯物はすでに乾いた。吊り橋を使いながら沢を右へ左へ、そして下った。時には急登があり、そしてまた下った。
ヤク使いは「フォー」っと言ったり「ヒューッ」と口笛を吹いたり、時には何事かを大きな声で叫んでいた。そんなシーンに度々出くわした。たぶんヤクの動きをコントロールしているんだと思うけど、もしかしたら彼のテンションが高まり叫ばずにはいられないのかも知れない。事実はわからない。
ちなみにこれまでヤクが叩かれているところをみたことがないが、相変わらずロバはバンバン叩かれている。太い木の棒で、フルスイングで尻を「バシーン!」と叩かれていたのもみたことがある。叩かれるのも仕事のうちなのかもしれない。
ヤクは怒らせると怖いのだろうか。
ロバは叩かれないとわからないのだろうか。
がんばって歩いた。今までやったことのないくらい速く歩いた。急登も多くその都度死ぬかと思ったが、この標高ならがんばれた。ポーターを抜きヤクを抜き、途中でスニッカーズをかじり犬にまとわりつかれ、そしてまた道を駆け抜けた。
チェプルンからルクラまでの登りは未経験だったが、地図通り登りはきつかった。すでに15時を過ぎていて諦めそうにもなったが、ものすごい形相で石段を力強く登った。朝にベーカリーでコーヒーを飲みながらゆうゆうと日記を書いていたことや、沢で洗濯物をしたり頭を洗ったりしたことを後悔した。それらがなければ急ぐ必要などなかったんだ。
そしてルクラに辿り着いた。
ルクラで飛行機のチケットを買う
ルクラの町は思ったよりも小汚い印象だった。名前からして爽やかなのでキュートな町をイメージしていたが、どうやらカトマンズの汚さをここまで運び込んでしまっている様だった。ヒマラヤに来てはじめて小汚い町だと思った。天気のせいもあるかもしれない。
けれどやっぱり大きい。ピザ屋もカフェもある。
カトマンズへの飛行機のチケットは買えた。明日の朝6時に空港と言われた。たぶん朝イチの便なので飛ぶ確率は極めて高いだろう。165ドル。
航空会社は「Sita Air」を選んだ。選んだというか、ナムチェ方面からルクラを歩くと左手に航空会社らしきところがあって、そこでチケットを買えるかと尋ねると「買えない」と言われ、そこからちょっと進んだ左手の似たような店で航空券を買えるかどうか尋ねると「買える」と言われたので買った。探せば他にあるのかも知れない。まあとにかく、急いで歩いたことが報われてよかった。(店じまいが何時なのかはわからないけど)
宿はサンライズだかサンセットだか、そんな名前の雰囲気が良さげのところを選んだ。この宿は部屋が個別の建物になっていて、しかもトイレ・シャワー付きのダブルベッドだった。さすがルクラだと思ったし、カトマンズも含め今までネパールで泊まったどのロッジの部屋よりも上等だった。そしてお値段300ルピー。
こじんまりとしたレストランの内装はウッディで落ち着いた雰囲気。洋楽が流れたりバーカウンターなんかもあって、山だけど久々にシティを感じて楽しくなった。受付の若いお姉さんも明るくて素敵だった。
けれどダルバートのおかわりが無いことが残念だった。「ダルバートのおかわり=おもてなしの心」、と勝手に解釈していたので少し寂しくなった。まあそれでもお腹はいっぱいなんだけど。
ルクラで大量の土産を買う
宿の左隣にはおみやげ屋があり、そこでは僕と同い年の日本人の女性が働いていた。彼女はネパール人の男性と結婚し、旦那がルクラに持つ2件の土産物屋の1つ「キャラバン スーベニアショップ」で働いている。普段は下界で暮らしているが、時期になるとルクラにあがってくるらしい。「冬になるとこの辺の店の人はほとんど下りますよ」と彼女は言っていた。
僕が寒くて山から下りてきたこと、アイルランド人とモメ不思議な話し合いをさせられたことを告げると、「ほんとにヨーロッパ人ってそういうことしたがりますよね」と彼女は僕に同調してくれた。「空気を読んで欲しいですよね」とも言ってくれた。久々に同士にあった様な感じでとても嬉しかった。やっぱり日本人だよなあ、とお国のありがたみがわかった。幸せだった。
この土産屋で、僕は大量の土産物を買った。ここでは円でも支払うことができ、合計1万1千円分も買った。このお店の品揃えが素晴らしくてついつい買いすぎてしまった。いやいや、長いトレッキングが終わり浮かれ過ぎていたのかもしれない。いや、仲良くなった人のお店で金を使いたかったという事もある。ネパール人と時間の無駄な交渉や猜疑心を持ちながらの商品を選んだり、何軒も店をまわって安い物やより良い物を求める行為がすごく面倒だった。なのでここで全部買ってしまえ、と日本に買って帰るべきお土産全て、そして無駄なものを3つ購入した。その無駄なもの3つを紹介。
1つ目。ネパールの細長いほうき
このほうきは僕の中ではネパールの景色と言えるもの。みやげ物屋やロッジの店員がこのほうきを使い、店内や庭先を掃いている光景をトレッキング中やカトマンズでも何度もみかけた。ネパールでは、色んなものは日本人が使っているものと割りと近い気がするが、ほうきだけは明らかにシェイプが違っている。だからすごく気になっていて、トレッキング中もお店の前を通る度にほうきが売ってないかチェックしていた。そのずっと探し求めたほうきをついに買うことができた。
僕がほうきを探しているとお姉さんに告げると、彼女は僕に旦那を紹介し、そして事情を説明してくれた。すると大沢たかおをよりアジア人に近づけた様な素敵な旦那は、店で使っている物でよければ売ってあげるよ、と言ってくれた。木曜日のマーケットでないとこのほうきは買えないらしい。
中古かあ、と一瞬迷ったが買うことにした。この先、二度とほうきを売る店に出会わないかも知れないし、そのほうきはまさに僕の求めるクオリティの高いものだった。
ネパール人が使用しているほうきを観察していると、ほうきのクオリティにかなりのばらつきがある。ほうきの毛の量、柄の仕上げ方法が違う。用途によるかもしれないが、安っぽいものは毛の数が少なく硬そう。それに柄の部分はビニールテープで巻いているだけだったりと簡単なものが多い(手作りかもしれないけど)。しかし作りの良さそうなものは毛も多くしなやかで、なんと言っても柄のフィニッシュの仕方が豪華なのだ。
日本人のお姉さんにそう言う様なことを告げると、彼女も僕の言うことを理解してくれた。そうなのだ。このほうきはかなり高いクオリティなのだ。ということで買った。
2つ目。運び屋が使っているT字型の杖
これも僕の中ではネパール、エベレストトレッキングの風物。運びやはこの杖を突きながら重い荷物を毎日毎日、西へ東へ、北から南へとモノを運んでいる。彼らは歩いている時は杖でバランスを取り、坂の途中で休憩する時はこの杖に荷物をのせ体を楽にする。2週間以上毎日見てきた光景で、この杖もできれば記念に持って帰りたいと思っていた。
試しに「杖も探しているんだけれど」と彼らに言ってみると、おもむろに主人は奥から3本の杖を持ってきた。どれも使い込まれて極端に短くなっている物で、きっと使い物にならなくなったんだろうなと推測する。それくらい、杖には年季と風格と味わいがあった。
できれば長い杖、現役バリバリの物が欲しかったが、長いものには味わいがないだろうし、あまり使われていないということは何かいわくがあるかもしれない。
ということで買った。
木の素材はクリらしくカッチカチ。日本に持って帰ったら数日でベランダに放置される可能性が高いが、とりあえずワックス塗ってピカピカに磨いて飾って、そのうち机の足にでも組み込んで再利用しよう。ちなみに値段は650ルピー。ナムチェでもこの杖は売っていたが、言い値は1600ルピーだったので安く買えたと思う。
3つ目。木のツボ
みやげ物屋の棚の一番上には、ひっそりと木製のツボが4つ並べられていた。2つは小さく各1500ルピーで「ワインボトル」とかなんとか書いてあった。残り2つの大きいツボには値段がないし説明もない。試しに手に取ると、その大きなツボにとても魅力を感じた。太い無垢の木をろくろで削ってツボにしているわけで、きっと高いものだろう。お姉さんに聞くと、ツボの中にワインか何かを入れるとワインに木の匂いが移り美味しくなるらしい。ウイスキーを熟成させる樽の様なイメージだろうか。
試しに値段を聞いてみると、これは店の飾り物で売り物ではないと言う。けれど、もし欲しい人がいれば応相談で売っても良いとのことだった。5500ルピー。
かなり悩んだ。お値段が高い上にすこぶる大きいし、すでに巨大な杖と巨大なほうきも購入済みだ。今はまだ標高2800メートルのルクラで、明日は飛行機。ザックは60リットル。
頭の中で荷物のパッキングをしてみると、どうにかこうにか入りそうな気がした。
そして買ってしまった。
旅先で見つけた物を「買っときゃよかった」と後悔することは少なくない。それと多分、「俺、ルクラで巨大なツボを買う」というストーリーに完全にやられていた。武勇伝だと思った。高山でツボを手に入れ、苦労をしながら日本に持ち帰るという行為がとても素晴らしいことの様に思えた。でもたんに、トレッキングが終わり頭のネジが緩んでいただけだろう、と思う。
以上の3点は僕への土産だけど、それ以外には家族や姪に、アクセサリー、ヤクの歯のキーホルダー、ヤクのショール、カシミアのショールなどを買った。買いすぎたと思ったし、全て買い終わった後に「運び屋の杖」がいらなく感じたが、まあなんとかしよう。どこかで捨てない様にがんばろう。
宿に戻り購入したものをパッキングした。なんとか無事に全部収まったけれど、飛行機で何を言われるかわからないので少し不安だ。